2007年12月05日
まとめ
白川静先生は,「字統」,「字訓」,「字通」の辞書3部作を世に問うた後,『字書を作る』(平凡社刊)を上梓した。この中からいくつかの箇所を引用して,このシリーズのまとめとしたい。いまの漢和辞典の問題点や字典のあり方について示唆に富むと考えるからである。
文字を古代学的な立場から理解しようとする試みは,かつてなされたことがなかった。それは[説文]の字形学の権威があまりにも強く,新しい文字学の方法の導入を,容易に許さない状況にあったことも,その一因であろう。たとえば[段注]では[説文]を殆ど経典として扱っており,また章炳麟のように,音韻学に新しい発想をした人でも,甲骨文・金文はみな偽作,信ずべからずとするなど,新しい資料に拒絶反応を示している。しかし資料的には,甲骨文・金文をこそ信ずべきであり,[説文]の依拠した篆文は,古代文字が字形的に整理された最終の段階のもので,すでにその初形を失っているところが多い。(同書131ページ)しかし,
わが国の字典類の字説は,一般に甚だ貧弱なものである。それはその編集者たちが,これらの研究に無関心であり,また十分な知識を求めようとしていないからであろう。わが国最大の字書である諸橋博士の[大漢和辞典]は,戦前に完稿し,組版も用意されたものであるが,その刊行は昭和30年(1955年)にはじまり,5年後に至って刊行を終えた。漢字典としては類例のない浩瀚なものであるが,その字説は専ら[説文]により,これを補説するときにも,[段注]など[説文]の注家の文を引くのみで,独自の研究は全くない。当時には十分に依拠すべき資料がなかったとしても,[古籀篇][書契淵源]ののちに刊行された書としては,これらの研究を無視すべきではなかったであろう。(同書123~124ページ)とも指摘する。
従来の字書編纂について,さらに,
明治以降のいわゆる漢和辞典は,おおむね定まった編集法によっている。まず字説としては,[康煕字典]の部首法により,部中の字を筆画によって排次し,漢・唐・宋の字書類によって訓義を加える。[康煕字典]は語彙を加えないが,これに語彙を加える編集法は,西洋の辞書の編集法を取りいれたもので,その方法は,中国でよりも,わが国でまず行われたようである。(同書259ページ)と述べる。
漢字に字形学的な解説を加えるときには,従来は[説文解字]によって説くことが普通であり,まれに編者の意見が加えられるときにも,字形学的体系の上に立つものは,ほとんどなかった。(同書266ページ)
すなわち,漢和辞典は中国・西欧の折衷型辞書編集法が採られたのであった。
ほとんどの漢和辞典が[康煕字典]の部首法を基本に編集されていることはご存知の通りであるが,その中にも,
[康煕字典]では,部首の一に丁・丂・七・丈・三・上・下・不・丐・且・丕・世・丘・丙・丞など凡そ四十字,[大漢和辞典]に六十五字,[漢語大詞典]に六十三字を収めるが,相互に出入多く,[大詞典]には井・五・屯・東・亜・甫・来・甚・爾などをも加える。[説文]の一部の立意と全く異なり,字形学的に部首の意を失っている。それは四角号碼の考え方であり,またこのような部首のもとに排次されている文字を,部首的な観念で検索することは殆ど不可能である。(同書340~341ページ)という問題がある。
この「部首法」に何か違和感を感じられた方も多いのではないか。しかし従来のほとんどの漢和辞典にとって部首法は金科玉条であって,なかなかそこから脱却できていない。漢字を知っている人しか利用できないとは言い過ぎだが,しかしそれにしても,全体的傾向としては,やや工夫が足りないことはたしかである。
しかし工夫・検討が足りないのは検索法だけに留まらない。それが,とくに見出し文字の字形である。『新潮 日本語漢字辞典』は,字解に白川学説を採用するなどの「挑戦的」試みをしており,またこの辞典のために文字字形を微細なところまで調整しているのであるが,字形解釈については字体差/デザイン差を区別しないなどの検討不足を露呈した。前回に指摘したとおりである。
ただ,この辞典はチャレンジャブルであったことは大きく評価しなければならない。前掲書においても
字典・辞書を作ることは,一種の冒険である。と述べている通りである。
字体差/デザイン差を明確にし,しっかりした思想に基づいた漢和辞典の出現を強く望みたい。それによって,このシリーズで提起した字形に関する課題が整理されることをも期待したいと思う。
【補足】
本業の仕事がかなり忙しくなり,少し間が空いてしまいました。
このシリーズも,最初は字形から見た現在の漢和辞典の問題点を数回程度で簡単に述べるつもりでしたが,いつの間にか前回までに15回にもなってしまい,このままではいつ終えるとも知れぬ長丁場になりそうなので,とりあえず今回で締めることにしました。
次回からは「表外漢字表」の字形上の問題点について私見を述べる予定です。
2007年11月18日
新潮社『新潮日本語漢字辞典』発売
9月末に新潮社から『新潮日本語漢字辞典』が発売された。同社の創立110周年記念出版ということで,かなり力が入っている。
従来の漢和辞典とは意識的に趣を異にした編集方針を採っており,その挑戦的スタンスには敬服する。
その特徴には多くの同意できる点があるものの,やや問題を感じないわけにはいかないものもある。それらの「特徴」を簡単にレビューしておきたい。
巻頭の「刊行にあたって」には,
これまで日本で刊行された漢和辞典は、一般の日本人とは縁遠いものでした。漢和辞典のほとんどは、中国の言葉を、それも古代の中国語を日本で学ぶための辞書だったからです。したがって、日本で育った漢字の字形、意味、熟語などを引こうとしても、載っていないということがしばしばあったのです。と述べられている。この辞典の目的を的確に表現しているといえよう。
そもそも、中国語は外国語の一つです。私たちは『新潮日本語漢字辞典』を、その中国語としての漢字ではなく、「日本語としての漢字」を知るための辞典として編纂しました。
蜻蛉を「あきつ」でも引けるとか,アルコール(酒精),コップ(洋杯,瑠璃杯)などというカタカナ語,さらにウラジオストク(浦塩斯徳),ラングーン(蘭貢)など,日露戦争を中心に明治期のことを勉強している身としては外国地名の漢字表記がわかるのも非常にありがたい。なかにはヤムチャ(飲茶),バンバンジー(棒々鶏)などというものもある。熟語は主として新潮文庫を中心に明治期以降の日本文学から収録したというが,卑近な用例を収載し,利用価値は高いと思う。
また字解に白川静先生の説を全面的に取り入れたことには快哉を叫びたい。従来の拠り所としての「説文」については,「一説に,……」として扱うに留めるなど,従来解釈に配慮はするが中心的には扱わないという明確な主張が認められる。具体的には『字通』,『字統』に示されている解釈をそのまま採用している。
しかし一方,とくに字形に関しては,やや問題なしとしない。二点ほど挙げておこう。
まず第一に,親字(代表字など)に採用した書体のウェイトが適していない。書体はよいのだが,何としても漢和辞典の親字としては太すぎるのである。
組版のバランスを考えるにあたって用いられる指標に「ジャンプ率」というものがある。本文文字サイズに対して,小見出し,大見出しなどの文字サイズをどのぐらい大きくすればバランスがよいかを決めるための指標だが,サイズを大きくすればウェイトも太くするのが文字組版の常識である。
『新潮日本語漢字辞典』の親字のウェイトは,まさにこの「常識」を踏襲してしまった。したがって組版としてみた場合のバランスは黒味も含めて申し分ない。しかし,そのことによって辞書としての機能が犠牲にされた。ウェイトが太すぎて,とくに画数の多い文字の構造がわかりにくくなってしまっているのである。まったく構造がわからない文字はあまりないようだが,たとえば検字番号15074の二番目の空見出しの文字において,四画のクサカンムリの下は極めて不鮮明になってしまっている。ほとんど「幺」の一画目は視認不可能である。検字番号7282も同様の傾向がある。
また,たとえば部分字形「鹵」,「柬」などは中が潰れ気味である。「鯛」の旧字はまだカウンターがある程度とれているのだが,検字番号14778の新字体は偏旁の間隔が狭く親字としてはふさわしくない(この両者は「周」の中が土かキかの相違だけだがデザインはかなり異なる)。
つまり,漢和辞典における親字には太明朝・特太明朝の使用は好ましくないのである。やや弱々しい感じがしたとしても,機能的に見て細明朝こそがふさわしい。
第二に,ここが重要なのだが「別体」とされる字形に大きな問題がある。別体も異体字の一種と看做されるが,ここには単なるデザイン差の文字がかなり含まれているのである。大問題であり,これが一人歩きするととんでもない混乱が起きる可能性がある。
「俳」の字形について,このブログの『「非」の4画目問題』で取り上げた。そこで,
それでは「貫く“俳”」と「貫かない“俳”」のどちらが正しいのかという疑問に対して,漢字の辞書であるはずの「漢和辞典」は回答を与えているであろうか。現存するすべての漢和辞典に目を通したわけではないので断定は避けるが,ほとんどの漢和辞典は「否」である。と述べたのであるが,本辞典の「俳」(検字番号447)は4画目を貫かない字形で表示されている。
それはよいとして,もう一つ「徘」(検字番号3371)を見ることにしたい。ここでは代表字として4画目を貫く字形で表示している。しかし,この文字の別体として貫かない字形をも載せているのである。しかも検字番号を3372と独立にとっている。それでは,なぜこの字形差を「俳」に敷衍しないのか,あるいは敷衍できないのかを説明してはいない。
この類のものはいくつもあるが,部分字形「非」の4画目を貫く・貫かないなどというレベルは単なるデザイン差に過ぎず別体として定義すべきものではない。
そもそも本辞典における別体の定義が中途半端なのである。この定義として,
旧字、正字、本字以外の異体字は一括して別体として表示した。これらの中には従来、俗字、略字、誤字、古字と表示してきた漢字や、代表字との違いがわずかであるものも含まれる。と記されているのだが,この「代表字との違いがわずか」な文字が異体字とされるレベルなのか否かが明確にされていない。しかし現実には微細なデザイン差が別体とされてしまっている。
どうやら,この原因は『表外漢字字体表』(あるいは,同じことだが「印刷標準字体」)の字形解釈にあるようである。この文字字形に対して神経質な解釈をしすぎている。これは辞典編纂者の理解不足というより『表外漢字字体表』に問題の本質があるような気がしてならない。このことについては,その重要性に鑑み別途詳細に論じるつもりである。
2007年11月15日
「人」か「入」か
漢字の部分字形としての「人」と「入」は,よく置換対象になる。「内」もいろいろに解釈されるが,旧字体では「入」につくる。啓成社版の大字典では,わざわざ【注意】として「俗に冂と人の合字とす。されど本字は入に従うべし」と記している。部首も「入」である。康煕字典においても部首「入」,実際の字形も冂+入となっている。しかし,これを「人」につくる辞典もある。
さて,全字形の「内」はまだよいとして,部分字形となった場合に中が「人」なのか「入」なのかがわかりにくいデザインを見かける。それは漢和辞典の中にも散見される現象である(屋根付きだからと言って「入」と断定することは間違いである)。
とくに「兩」や「齒」が部分字形になった文字などは,もともとデザイン領域が狭いために,よほど意識してデザインしないとどちらなのかがわからない文字になってしまう。
漢和辞典の親字デザインは辞書編纂者とフォントデザイナーの共同作業である。その両者がパーツの特徴をよく理解し情報共有していないと,中途半端な字形になってしまったり,またそのことに気がつかないことにもなる。両者の違いのポイントをうまく押さえてデザインすることが肝要であるが,神経が行き届いていないものも少なくない。
ちなみに『常用漢字表』の「両」のカッコ内字体(いわゆる康煕字典体)では屋根付きの人につくっている。もともと,この旧字体は康煕字典では部首「入」であり,当然,康煕字典でも入につくる。漢和辞典でも入につくるものが多い(大漢和1436など)。すでに,このあたりでもユレがあるのである(大蔵省印刷局の明朝体デザインが,たまたまそうなっていたということであろうが,これが一人歩きをすると怖い)。
2007年11月04日
「非」の4画目問題
ひとつの例を挙げることからはじめたい。
「どちらでも良い」というのが正解だが,そうは思わないという人がいたとしても不思議ではないのである。この文字は常用漢字であり,『常用漢字表』の例示字体では「出ていない」ので、多くの書体設計においては,この例字字形を踏襲して「出さない」デザインにしているのである。JIS例字字形においても例外ではない。
ところで常用漢字表の「(付)字体についての解説」の中で,
常用漢字表では,個々の漢字の字体(文字の骨格)を,明朝体活字のうちの一種を例に用いて示した。現在,一般に使用されている各種の明朝体活字(写真植字を含む。)には,同じ字でありながら,微細なところで形の相違の見られるものがある。しかし,それらの相違は,いずれも活字設計上の表現の差,すなわち,デザインの違いに属する事柄であって,字体の違いではないと考えられるものである。つまり,それらの相違は,字体の上からは全く問題にする必要のないものである。以下,分類して例を示す。として,この中には「交わるか,交わらないかに関する例」として「非」が示されている。4画目の右ハネアゲが1画目を貫くかどうかは単なるデザイン差に過ぎないということを教えているのである。
常用漢字表の例字明朝体として用いられた大蔵省印刷局(当時)書体における「非」は,ひとつの思想に貫かれている。全字形の「非」のみが4画目の右ハネアゲが1画目を貫く字形であり,その他の「非」が部分字形になっている文字(拝,俳,排,輩,悲,扉,など)の「非」は1画目を貫かない字形なのである。部分字形となって空間がとれない場合にすっきりさせる意図があるのかもしれないが,合理的と言える。
しかし表外漢字表の例字字形は,たとえば「徘,誹,靡」など部分字形として「非」を持つ文字があるが,これらはすべて4画目の右ハネアゲが1画目を貫く字形になっているのである。
先に引用した常用漢字表のデザイン相違の説明があるにも関わらず,表外漢字字体表制定に際して,例字字形表示用に採用した平成明朝体(たとえば「徘,誹」は平成明朝体では「貫かない」形の書体としてデザインされていた)デザインをわざわざ変更してまで「出る・出ない」にこだわった。
ただでさえ「出る・出ない」レベルまで例字字形追従の神経質的デザインが蔓延している現在,表外漢字字体表がこのような変更を行って「字形調整」をした結果,その例字字形と同じ字形が要請されているというトンデモナイ勘違いが横行し,
- 非 : 4画目の右ハネアゲが1画目を貫く
- その他の,「非」が部分字形になっている常用漢字 : 貫かない
- 「非」が部分字形になっている表外漢字 : 貫く
それでは「貫く“俳”」と「貫かない“俳”」のどちらが正しいのかという疑問に対して,漢字の辞書であるはずの「漢和辞典」は回答を与えているであろうか。現存するすべての漢和辞典に目を通したわけではないので断定は避けるが,ほとんどの漢和辞典は「否」である。
明治期につくられた漢和辞典は,もともと漢字に対する素養を身につけている人が漢文を読解するために参照するリファレンスとして編纂された。しかしいまの漢和辞典の主たる目的が同じであるとはとても思えない。いまの平均的国民の漢字全般に関する知識の度合いはどの程度か,どんなことが理解しにくいのか,多くの人が誤解していることは何か,などを十分に分析・斟酌した上で,それらに応えることができる漢和辞典の出現が待ち望まれているように思えてならない。
【備考】常用漢字表と表外漢字表の文字字形分析については,別途,章をあらためて論ずる予定である。
2007年10月22日
上下逆さ字形の文字に関する補足
上下が逆さになった字形を持つ文字について述べた。明朝体にしてしまうと,どういう筆法かが読み取れない。いままで何回も述べてきたように,現在の日本における規範書体が明朝体である以上,漢和辞典は明朝体で親字を表記せざるを得ず,したがって特段の説明がないかぎり辞典から筆法を知ることはできない。このことについても前回記したとおりである。
漢字を知るための辞典として漢和辞典があるのだとしたら,こうしたことも問題視しなければならない。どうも現今の漢和辞典でさえ,明治期の目的をそのまま無批判に踏襲しているように思われてならないのであるが,これは要するに出版社の努力不足なのではないか,という問題提起でもある。
そもそも「予の倒文」と説明された時点で明朝体は存在せず,小篆に関して言えば,まさしく上下逆文字の関係であったことがよくわかるし,筆法に矛盾はない。上図は説文篆文である(これらも『大書源』から転載)。
けっきょくのところ,「予」の明朝体がつくられ,一方,その倒文ということで明朝体の予をそのままひっくり返すだけという安易なやり方に問題の真因があったのてはないかと思う。
2007年10月16日
上下逆さの文字
前回,大漢和辞典の文字番号16274を例に挙げて画数問題を論じた。この文字の冠部は「止」を上下逆さにした字形であったが,この冠部の中央縦画起筆部には墨溜りを持たないし,二番目の横画収筆部にはウロコはない。しかし明朝体様式では,こうした表現はよくある。字形的にとくにおかしいところはない。唯一,右上の転折部を示す形状が角ウロコであるから,その形状を是とするのであれば画数が違うということを指摘したのであった。
数ある漢字の中には,ある漢字またはその部分字形の上下が逆になった字形を持つものがある。大漢和辞典の文字番号16274もそのうちのひとつと言える。「上」と「下」も,そういう関係にある文字と解釈したとしてもあながち間違いとは言えない。
しかしもっと顕著な例がある。たとえば「或」を上下逆にした文字がかなりあるのである。少し例示してみよう(画像をクリックすると拡大表示されます)。
ところで,これらの文字はどのように運筆するのだろうか。これらの文字をよく見ると,完全に図形的に180度ひっくり返した形につくっている。ウロコまでが逆だ。つまり逆形の「或」は紙を逆さにして書かなければ書けない形状になっている。しかし,このような文字も実際に書かれているものもある。
上は大漢和辞典の索引の一部であるが,「了」を上下逆にした文字(大漢和229),「予」を上下逆にした文字(大漢和234)がある。これらも物理的に180度ひっくり返しただけの形だ。どのように運筆すればこのように書けるのだろうか。こうした文字の多くは古い文献にたまに現れるだけで,実際に書かなければならない状況に置かれることはまずないと思う人も多いかもしれない。しかし,そうでもないのである。
「了」を上下逆にした文字も「予」を上下逆にした文字も戸籍統一文字に含まれている。前者は戸籍統一文字番号002720,後者は戸籍統一文字番号002780として登録されている。つまり,これらの文字は住所または氏名に使われているのである。いまでも実際に書かれる文字なのだ。それにしても1画目がハネ先から始まるような文字など、どうやって書くのだろうか。
残念ながら,漢和辞典はそういう疑問には答えてくれるものではないようだ。
2007年10月11日
字形表現と画数属性
漢字の画数を数えるためには運筆がわからなければならない。しかし教育漢字以外は筆順や運筆は公式には決められていないので推測するしかない。もっとも,しっかりした明朝体様式に則ってさえいれば多くの漢字の運筆はおおよそ推測できるのだが,漢和辞典のなかには論理的に推定することができない文字もある。

この文字は右に示す大漢和文字番号16324の本字だそうである。

実際の大漢和16274の字形から冠部が4画であることを推定することは難しい。
ところで,この字形を上下逆さまにした文字がある。文字鏡073271である。文字鏡では,この文字の読み等については示していないが,部首は「止」,画数は3画とされている。
実は,大漢和16274の冠部は,まさに「止」の上下を逆さまにした字形なのである。大漢和辞典の文字番号16324の[解字]では,
止を四つ組み合わせた文字。二つの止を反倒し,相衝突せしめ,止(とどまる)の義から,物のしぶって滑らかでない義をあらはす。と記している。ちなみに段玉裁の「説文解字注」にも不滑也从四止と記されている。
「止」が4画なのだからひっくり返しても4画には違いないという判断だったのかもしれないが,それならそれにふさわしい明朝体デザインにすべきだろう。
2007年10月06日
漢和辞典における漢字の画数属性
言うまでもなく漢和辞典を引くときには総画数を拠り所とすることも多い。中には部首が何なのかがわからない漢字があるからである。それは,部首に対する知識不足だけではなく,部首そのものが文字字形の実態に合っていない場合も多くなっていることにも関係する。さらに漢和辞典によって同じ文字の部首が異なるというものも珍しくない。したがって総画数を拠り所とすることは否定されるべきものではないのである。
しかし,それならば漢和辞典の画数属性はつねに正しいと言えるのだろうか。あるいは,漢字の字形表現は画数を正しく計数することができるようにデザインされているものなのであろうか。
後者については,このBLOGにおいても「敝の画数について」(2007年4月1日),「墨溜りの効用(1)~(4)」(2007年4月11日~5月19日)において具体的に述べた。そこでは文字のデザインによってはなかなか画数を計数することが難しいことを指摘したのだが,とくに漢和辞典のようなリファレンスにあっては,この種のこまかいところにも配慮していただきたいと常々思っている。
今回は漢和辞典における画数属性について,その実態を垣間見ることにしたい。あらかじめお断りしておくが,ここに例示するのは氷山の一角である。また,例として大漢和辞典を挙げたが,私が常用しているその他の漢和辞典においても問題が散見されることも申し添えておく。
大漢和辞典によれば,この文字は部首「土」の12画,すなわち総画数15画とされる。したがって,よくわからない上部の画数は幵と土の合計画数9画を差し引いて6画ということになる。しかし明朝体の様式からは,どんなに少なくとも7画を必要とする。総画数15画はありえない。
大漢和16708だが,複雑なように見えても構成要素は「弓+工+工+羽+羽+殳」であり,比較的理解しやすい。大漢和辞典によれば,この文字の総画数は20画(殳部の16画)となっている。しかし「弓+工+工+羽+羽+殳」の総画数を数えると19画になってしまう。あきらかに1画違うのである。あえて20画にしようとすれば「弓」に見える部品を弓ではないと判断して,ここを4画に数える以外ないのだが,この文字の今昔文字鏡の総画数属性は19画となっているから,大漢和が違うとみて間違いあるまい。
2007年09月25日
見掛け2画表現について
さらに重箱の隅をつつくようだが,明朝体様式のひとつである「見掛け2画」に関してみてみたい。
見掛け2画でよく例に出されるのが「衣」である。この4画目が2ストロークに見える。これが見掛け2画と呼ばれているものである。
漢字には「形・音・義」の3要素を持ち,さらに形(すなわち字形)には部首とともに画数という属性がある。字形がきわめて似ていても画数が違う文字はたくさんあり,また,漢和辞典を引く際にも画数を拠りどころとすることが多いので,漢字の画数というのは日常生活の場でも非常に重要な属性情報である。
この観点からは,上述の「見掛け2画」はややこしい問題を引き起こす。これと同じ問題が,いわゆる「ゲタ」の存在にもみられることは「臣」の字形分析を例に,すでにこのBLOGで論じている。
さて,まずつぎの図を見ていただきたい。
これは同じ漢字を三つの漢和辞典から採って表示したもので,左から大漢和,新大字典,大字源であるが,旁のつくり方(シャレのつもりではありません)は三者三様である。この旁は2画に数えるのであるが,この1画目は,大漢和ではゲタ型の「見掛け2画」,新大字典では衣型の「見掛け2画」にデザインしているのに対して,大字源は素直に1画のストロークにつくっている(例によってゲタ型,衣型などという呼称は勝手につけたものである)。
問題は二つある。大漢和では折った後の横画にウロコをつけているが,このデザインは馴染みのないものである。1ストロークの字形として異形と言わざるを得ない。明朝体様式に則った「見掛け2画」を採用しているようにみえながら構造的にオカシイ。
もうひとつは大字源である。この表現も明朝体様式にはないものである。混乱を招くのを避けるために「見掛け2画」の表現はしない,という「新」明朝体の提言があってもよいかもしれないが,大字源の親字がすべてこの思想に立脚しているわけではなく,きわめて少数の文字だけが明朝体様式に沿っていない。そこが問題である。
2007年09月21日
不思議なカクシガマエ(補足その2)
まず上図に『康煕字典』の
つぎに『大字典』の
つまり,『康煕字典』,『大字典』の両者とも,2画目の折り方やストロークの太細の違いにはあまり意味を認めず,もっぱら1画目と2画目の接し方の違いに重きを置いていることがわかる。
それではあらためて「常用漢字表」をみてみよう。「区」には「いわゆる康煕字典体」の「區」が添えられているが,この二つの文字のカマエは康煕字典のハコガマエとカクシガマエそのものである。
常用漢字表の字形を重視するのであれば,現代の明朝体においては両カマエとも康煕字典の字形を踏襲すべきであるとも言えるのだが,実態はそうではない。ハコガマエは康煕字典系,カクシガマエは大字典系(ここだけの名称として用いることをお断りする)が多数派を占める。『大漢和辞典』,『新大字典』,『大字源』,『大漢語林』,『旺文社 漢和中辞典』,『全訳 漢字海』,『新漢語林』,『新字源』などなどである。
しかし中にはそうではない辞典もある。『学研 漢和大辞典』の部首字形はカクシガマエの1画目起筆位置と2画目起筆位置が同じである。したがって,これらの差は2画目の折り方とストロークの太細の違いに置いている。ただ,実際の親文字字形としてはいくつかのバリエーションが存在し,その中には康煕字典系もある。
しかし,なぜ「ハコガマエは康煕字典系,カクシガマエは大字典系」が多数派なのであろうか。
文化庁の『明朝体活字字形一覧』では,ハコガマエはほとんど例外なく康煕字典系である。また,カクシガマエは康煕字典系と大辞典系が混在しているが,これは文字種別による傾向が強い。たとえば「區」や「匿」は康煕字典系が多数派だが「匽」や「匼」は大辞典系が多数派になっている。
『大字源』の「不思議なカクシガマエ」が,実はこの種の文字であることは,たぶん偶然ではない。それなりの思想があるはずである。しかし,くどいようであるが本来これらを字形的に区別する必要などはなく,混乱を招くだけであると信ずる。
【9月22日 補足】
和田さまからハコガマエをクニガマエと誤記しているご指摘をいただきました。当該箇所を見え消しで修正しました。
2007年09月16日
「區」のカマエについて
9月6日付の「不思議なカクシガマエ」で『大字源』のウロコ付きカクシガマエを取り上げ,この字形が異質であることを指摘した。さらにそこでは「他の辞典にはほとんど現れない形」と書いた。しかしこの説明だけでは誤解を与える。この形のカクシガマエは『大字源』の専売特許ではないのである。
さらに『大字源』においても,カクシガマエのすべてがウロコ付きというわけでもない。
そこでまず「區」という文字を例に,辞典によるカマエの形状の違いと「ウロコ付きカクシガマエ」の存在を確認しておきたい。
この問題については,このBLOG開設のきっかけになった国際大学GLOCOMでの講演で取り上げたので,ここではあえて触れなかったのだが,正しい理解を得るためにも,もう一度ここで論じておくことにしたものである。
漢和辞典で「區」という漢字を引くとする。辞典によって,その字形はまさに区々である。少し例示してみる(下図をクリックすると,少しだけ拡大された図が別ウィンドウに表示されます)。
これらをみていただければわかるように,ハコガマエにつくっていたり,カクシガマエにつくっていたりして統一されていない。ここには示していないが,大修館書店『大漢和辞典』ではカクシガマエの部首の項にハコガマエの字形で載っている。学研『漢和大字典』も同様である。
上図(A)は講談社から昭和40年に刊行された旧『大字典』であるが,まさに「ウロコ付きカクシガマエ」である。この字典は啓成社が大正6年に初版を出したものの再興版だが,同じく私が所蔵する啓成社版の『大字典』(昭和12年刊の200万部突破記念版)では見出し字がハコガマエであるから,どこかの時点で「ウロコ付きカクシガマエ」に変更されたことになる。
しかし,この版は三六判から四六判に変わってからのものなので,講談社によって再興された版がどの時点の版を使用したのかについて疑問が残る。
平成5(1993)年に講談社から刊行された『新大字典』では,「區」は通常のカクシガマエ,「区」はハコガマエになった(図(C))。それでは「ウロコ付きカクシガマエ」は他には見られないのであろうか。上図(G)は旺文社の『漢和辞典』であるが,「區」の字形は同図(A)と同じである
他の漢和辞典を含めて,「区」はハコガマエ,「區」は通常のカクシガマエというのが大勢であろう。もちろん「区」は常用漢字であるからゆれようがない(『常用漢字表』の「いわゆる康煕字典体」として載っている字形はハコガマエである)。しかしもう一度上図(C)を見ていただきたい。「區」の見出し字はカクシガマエであるが,ハコガマエの「區」が「同字」として記載されており,これらは単なるデザイン差ではないということを主張しているのである。
このような実態を通してみたとき,「區」はどうあるべきなのか,自分のイメージとちがうとすれば,それは何を意味するのか,そもそも辞典の見出し字の字形に差があることは当たり前なのか。「區」をいくつかの漢和辞典で串刺し的にみただけで,こんな疑問が生じてくる。
それはともかくとして,部分的に見れば「ウロコ付きカクシガマエ」は他の辞典にまったく現れていないわけではない。しかし異質には違いなく,さらにどの辞典においてもそれを有意とする理由を述べているものはない。調べれば調べるほど疑問符を付けざるを得ない。これが漢和辞典の宿命なのであろうか。
ちなみに図の(B)は冨山房『詳解漢和大字典』(昭和6年版),(D)は角川書店『新字源』,(E)は三省堂『漢辞海』,(F)は岩波書店『漢和辞典』である。
2007年09月10日
不思議なカクシガマエ(補足)
前回,クニガマエとカクシガマエの中間のようなカマエについて述べた。その形状は一般的な明朝体様式からは外れており,これを「ウロコ付きカクシガマエ」と呼んで,ややもすれば字形解釈上の混乱を招く虞があることを指摘した。
しかし,この独特ともいえるカマエの実際の形状が,説明用の図の表現力の問題でよくわからないものとなっていたようであった。そこで,この字形について補足することにした。
上図を見ていていただければ一目瞭然であろう。左は通常の「クニガマエ」,つぎは,これも通常の「カクシガマエ」だが,問題は右のカマエだ。この形のカマエは他の辞典には現れないものである(現存するすべての漢和辞典に当ったわけではないが)。辞典による解釈の差はあるものの,クニガマエとカクシガマエの位置付けは部首としてもはっきりしている。しかし右のカマエは様式から逸脱しているだけに困るのである。
そこでもう一例挙げよう。これは検字番号10448である。「医」が部分字形になっているのだが,このカマエは明らかに「ウロコ付きカクシガマエ」風である。つまり『大字源』にはこれら3種のカマエが混在しており,しかもその必然性が読み取れないということである。漢和辞典の親字としての性格上,このユレは字形デザインの恣意性の範囲とは言えないと考える。
2007年09月06日
不思議なカクシガマエ
伝統的な部首の中にハコガマエ(匚)とカクシガマエ(匸)がある。もともとはまったく別モノなのであるが,新字体・旧字体の差の指標にしている辞典もあり,字形解釈上も気をつけなければならない。

左図を見ていただきたい。これはお馴染みの「区」の新字体と旧字体であるが,新字体(検字番号898)がハコガマエであることは当然として,旧字体(検字番号897)のカクシガマエが一種独特なのである。カクシガマエの2画目転折以降が横画になって収筆部にはウロコまで付いている。まさにハコガマエとカクシガマエを足して二で割った感じの字形である。他の辞典ではほとんど現れない形だ。私はこれに「ウロコ付きカクシガマエ」と命名している。
文化庁の『明朝体活字字形一覧』には,「区」の旧字体として,モリソンの『五車韻府』(最初の華英辞典。1815年刊)から採ったものに,このウロコ付きカクシガマエに似たカマエがあるが,まさか,この時代の字形を踏襲しているとは思えないし,踏襲する意味もない。
ちなみに「区」はハコガマエで新字体,この旧字体は「品」にカクシガマエということであったが,たとえば戦前の啓成社版『大辞典』では,「品」にハコガマエが正字で,「メ」にカクシガマエが俗字とされている。このあたりの解釈は辞典によってかならずしも同じではない。
同じような例はまだまだある。それらをすべて挙げることはしないが,たとえば検字番号2319,同10448なども確認してみていただきたい。
つぎに下図に示す文字をみてみよう。これらも「一種独特」のカクシガマエである。
いずれにしても,このどっちつかずのカクシガマエは他にはほとんど見られない字形である。たいへん紛らわしいし,混乱の元になりかねない。
最後に『大字源』の「匚」と「匸」の解説を『大字源』から転載しておく。
2007年08月30日
二つの「二」
漢和辞典の親字は例外なく明朝体である。しかし,中にはどうしても明朝体にみえない文字もある。今回も『大漢和辞典』を対象とし,その中から明朝体にはみえない「問題字」を挙げることにする。
『大漢和辞典』の文字番号248~250の3文字は次のような字形である(図をクリックすると拡大表示されます)。
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どうみてもゴシック体にしか見えない。ほんとうにこんな字形の文字なのか。
大漢和248の文字は「上」の古文であり,大漢和249の文字は「下」の古文である。ちなみに古文とは周・春秋戦国時代の金文を指すことが多いようであるが,「説文古文」と言われるものは孔子の旧宅を壊した跡から得たといわれるものである。
「上」と「下」の古文は『康煕字典』では次図のように表記されており,これならば明朝体表現といって差し支えない。
甲骨文字もそうであるが,金文は等線体だ。したがって,その形で表わそうとすればゴシック体風になることはわかるが,親字として金文の形そのものを示すことには抵抗を感じざるを得ない。しかも『大漢和辞典』では金文の形というより,やはりほとんどゴシック体なのである。古文の形でしか示さないのであれば,たとえば平凡社『字通』のようにはっきり甲骨文字・金文と断った上で表示すべきであろう。『大漢和辞典』の構成はかえって混乱を助長する可能性が高いと思うのだが。
2007年08月23日
「北」の字形について
第一回として部分字形「北」を取り上げる。
漢字は小学校の第一学年から習い始める。小学校六学年修了までに全部で1,006字を習うわけだが,これらは単に読解だけでなく,実際に「書くことができる」能力を養う。したがって字形もおのずから「書き文字」で教えられる。手書き文字の正式書体は楷書体であるから,ここで教えるのも楷書体ということになる。ただし,理解のしやすさ,視認性のよさという面を優先して若干の形状的デフォルメがなされた教科書体という書体が使用される。
教科書体は筆写用の書体であり,明朝体は表示用(つまり読むための)書体であるが,両者はまったく違う構造をもっているわけではない。それは,もともと同じ文字を表わすのであるから当然であろう。
しかし教科書体と明朝体で,見た目が変わる文字がある。「令」がもっとも顕著な違いを持つ文字だが,「北」もほとんど同じようではあるものの,まったく印象が違ってくる文字である。
ところが漢和辞典の中には,教科書体(より一般的には楷書体と言った方がよい)の「北」の構造でデザインされた文字が散見される。なぜそうなのか。あえて差をつける必然性があるのか。
今回は,これらの例を取り上げて漢和辞典の文字字形について考えてみたい。
ここで取り上げるのは大修館書店発行の『大漢和辞典』である。13巻プラス「索引」に「補巻」が付いた全15巻の国内最大収容字数を誇る漢和辞典の代表格,収載されている親字は実に約5万字に上る。物理的なボリウムが大きいため,一般家庭でひろく使用されるものとは言えないが,漢字に関わる者としては座右になくてはならない辞典である。
この辞典に限ったものではないが,個々の親字に検字のための番号(大漢和辞典では「文字番号」または「文字の番号」と称している)が付されていることが利用の幅を広げている。この番号だけでどの文字かがわかるからである(以下の記述では「大漢和xxxx」として文字番号を表わす)。
さて,さっそく大漢和5084をみてみよう。
ちなみに大漢和45を見ると,この文字は「北+一」で構成されているのだが,これは「丘」の本字と書かれている。そして,この「北」は明朝体様式そのものだ(右図。同様に図をクリックして見てください)。つまり,この二つの文字は本字-古字の関係にあるのだが,部分字形「北」には字形的相違点が見られる。これは有意な差と断定できるのであろうか。
大漢和辞典には,大漢和5084のほかにも同様の字形をもった文字がある。などである(個々の検字番号をクリックすると画像が表示されます)。
この多くの「北」は方角の北(North)ではなく,「丘」の意として用いられていることがわかる。つまり,もともとNorthの北ではない。そうであれば字形差があることは必然なのか。
次に掲げるのは古い(魏,西晋)時代の「丘」であり,北とは出自が違うことが見て取れる(個々の文字は二玄社『大書源』より転載)。
| 魏時代の「丘」 | 西晋時代の「丘」 |
しかし,それならば大漢和45においても同様の字形であってよいはずである。しかるにこの字形はNorthの北である。
大漢和辞典には,もうひとつの「北」字形がある。大漢和21558である。

そこで,ちょっと趣を変えて段玉裁の『説文解字注』をみると,Northの北を含めて次図のような字形になっている。

楷書発生前の字形は措くとして,楷書の筆法ではほとんど例外なく教科書体で用いられる字形の「北」であった。それが明朝体様式として固定化されるまでの成長期(または揺籃期)では,その中間的な字形が存在したものと考えられる。これはもちろん,とくに「北」だけに適用される特別の話ではない。かなり普遍的に言えることだ。そのユレが一次資料と看做される文書にも現れたとしても不思議ではない。かくして「原典」に忠実に表現しようとするあまり,不要な字形バリエーションを生んだとはいえないであろうか。
私の個人的解釈では,ここに例として挙げた文字のすべてはNorthの北に統一できる類のものである。また,無用の混乱を避けるためにも統一すべきであると考える。
2007年08月19日
漢和辞典の文字字形は正しいか
辞書は,あることがらについて知るために利用する。この時点ですでに,その辞書に満幅の信頼を置いている。そうでなければ,その辞書を手にすることはないだろう。しかしほんとうに辞書はその信頼に応えることができると確約できるのであろうか。
私は『広辞苑の嘘』(矢沢永一・渡部昇一著 光文社 2001)が出版されたとき,かなりショックを受けた。『広辞苑』に嘘など存在するなどとは思いもしなかったからである。小学校に入る前の私の遊び場所は岩波書店の食堂だったし,父は広辞苑を出すために岩波の熱海の別荘に篭り,帰宅後も永らく深夜まで校正を行っていた。私はそんな父の背中を見て過ごしたものである。このような環境に育った私にとって広辞苑に嘘などあろうはずはなく,国語表記におけるすべての規範が広辞苑であった。
しかし『広辞苑の嘘』の登場である。とくに渡部昇一氏の論述には多くの共感できるものを持っていただけに衝撃だった。
その後,2005年には『こんな国語辞典は使えない』(夏木広介著 洋泉社)が出る。そしてここでは,
・岩波 国語辞典
・小学館 新選国語辞典
・三省堂 ハイブリッド新辞林
・小学館 大辞泉
とともに広辞苑が槍玉に上がった。
辞典は参照するためにあるのだが「完全」などはありえない。辞典と言えどもひとつの思想体系だからである。それでは漢和辞典はどうか。同じだ。しかし漢和辞典の問題に関しては意外に批判が少ない。むしろ不思議と言うべきではないか。
次回から数回にわたって漢和辞典の字形に関する「?」を述べる。漢和辞典の見出し文字は,文字通り一点一画の微細な形にも規範を求められる。それにしては,やや明朝体様式を逸脱した字形デザインも見られるように思う。ここではこれらの文字の中からいくつかを取り上げることとしたい。
しかし,もとより私は漢和辞典を評論するだけの知識を持ち合わせているわけではなく,文字デザイン監修を生業とする身として単に疑問を呈するだけであることをあらかじめお断りする。