2006年08月22日
活字体について
「活字体」の定義を確認する
前回,「出入国カード」での「活字体で書いてください」という表記について問題視した。この表現は明らかに間違いなのであろうか。この点に関して少し考えてみたい。
そもそも「活字体」とは「活字体という字体」なのか,あるいは「活字の書体」の略語なのであろうか。前者であれば字体の一種であり,後者であれば書体の一種である。
とりあえず国語辞典をあたってみよう。第一版『広辞苑』には項目自体がなかったが最新の版では,この項目が追加され,
活字体:ローマ字などの欧文文字のうち,普通の活字に用いる字体。AaBbなど。⇔筆記体
とされている。筆記体の対概念であるが,欧文書体の字体のひとつと位置づけているのである。
一方,三省堂『新明解国語辞典』第4版では,
活字体:〔筆写体と違って〕活字の字体。〔和文では,明朝,清朝,宋朝など〕
という記載がなされていた。すなわち「活字体」を和文の「筆写体」の対概念として定義している。
この二つの国語辞典の定義はまったく異なる。両者ともに一般用語としてはよく使われるのであるが,これらの辞書によれば「活字体」には二つの定義があるということになる。そしてそれは,まさに「字体」と「書体」である。
アルファベットに対しては,手書きの場合でも「活字体・筆記体」という言い方は定着しているとみてよい。たとえば『中学校学習指導要領』の「外国語」の別表1 言語材料の「文字」の項では,
アルファベットの活字体及び筆記体の大文字及び小文字
という記載がなされている。前後の文脈から判断すると,この言語材料は「書くこと」にも適用されるとみることが可能である。
やはり「活字体で書いてください」はおかしい
もう一度「出入国カード」をみてみる。このカードは自分の名前は漢字とローマ字の両方で書くことになっているので,好意的にみれば,漢字を楷書で書くのは当たり前であって,ローマ字は活字体で書いてほしい,という趣旨なのかもしれない。
Webで検索してみると,ロータリークラブの書類も「活字体でご記入ください」という表現が使われていた。これは欧文の翻訳の問題であろう。たぶん英語版では「Block letter」という言葉が使われているに違いない。
やはりロータリークラブの「大学教員のためのロータリー補助金」の申請書にも「活字体で明確に記入し,イニシャルや略字は使わないでください」と書かれている。これも明らかに翻訳調であり,Block letterを活字体と訳したものと想像できる。
また,学習院大学外国人協定留学生志願票にも「志願票はタイプライターまたは活字体で記入すること。(日本語での記入が望ましい)」と注記されている。これは留学生にとって「楷書体で書きなさい」というのは少し厳しいと考えたからなのであろうか。
これらのことから,欧文においては「活字体で書く」という表現は許されるが,和文においては「活字体」はあくまでも印刷用書体の一般名称であって,書き文字に適用できるとは言えない。やはり「出入国カード」の記載は不適当と結論付けてよいであろう。
欧文の活字体と筆記体
最後に,活字体と筆記体のアルファベットを例示しておく。ただしこれは実際の書き文字ではなくフォントで組んだものである(活字体はPapyrus,筆記体はIndy-Italicという,どちらも書き文字の雰囲気が出ている書体を用いた)。
| 活字体 | ![]() |
| 筆記体 | ![]() |
2006年08月15日
楷書体で書くということ
明朝体を考えるということは,その前提として「書体とは?」を考える必要がある。
漢字は「形・音・義」の3要素からなるが,音・義は普遍とは言えず時間・地域で変わってはいくものの,ある時代・地域で切り取れば,そういくつものバリエーションができるわけではない(「萌え」などは大きく義が変わってきているが,漢字としての「萌」の義に本質的な変化が生じたのではなく,「萌え」というコトバの意味として新たな種類が加わったものと解釈すべきであろう)。しかし3要素のうちの「形」については,書体が違えば骨格も筆法もまったく異なり,一義的に形を固定して考えることなどできないのである。
このことは当たり前すぎると言われるかもしれないがたいへん重要なことであって,杉本つとむが言うように字体解釈は書体に不依存にはでき得ない。しかも篆書などには厳密な意味での筆法は存在しないといってよく,規範の字体が確立した楷書体においてはじめて字体を論ずることができるようになった。だからこそ杉本つとむは「字体論は楷書に限る」と述べているのである。
筆写の世界にあっては,いまでも楷書が規範書体である。自分の名前を正確に書かねばならない場面では,かならず楷書体で書くことが義務付けられている。逆に言えば,他の書体で書くことを知らなくとも楷書体で書くことができなければ社会生活は営めないとも言える。
たとえば次図は,ある申込用紙の一部であるが,「楷書体で書く」ことが求められている。ただし,最近はこの種の記載は少なくなったように思う。なぜであろうか。この理由を探るのも面白いと思っている。
「活字体で書け」とは
しかしいまでもはっきり指示されている顕著な例がある。下左図はパスボート申請書の注意書きの部分であるが,楷書体で書かねばならないことが明示されている。つまりパスボートを申請するすべての日本人は自分の名前を正確な楷書体で書けることが期待されているのである。
一方,いまはなくなったが,日本人用「入出国カード」には下右図のように記載されていた。「活字体」とは何を意味するのであろうか。まさか明朝体で書け,ということではあるまい。
私自身,海外渡航数はかなり多いほうである。したがって,このカードもよく書いた。タイポグラファーになるずっと前から,人には「まるで活字みたい」と言われるような文字を書いていたから,フライト中に書いても,ウロコをつければ明朝体,という書き方をしたものであるが,一般の人たちはいったいどんな文字を書いていたのであろう。 否,おおよそはわかる。隣の人の書いたカードを何回も見ているが,楷書どころか,もっと崩した文字を書いている例はいくらもあるのに,それによって足止めをされたという話は一切聞いたことはなかった。 それは何を意味するのであろうか。そもそも「活字体で書け」ということ自体,書体理解ができていない証拠である。文字を読み書きしないで済む生活など考えられないにも関わらず,「書体」に関する知見はあまり持っていない,というのが一般の方々の実態ではないか。 基本的に筆写のための書体と読むための書体は明確に区分されなければならない。「当用漢字」制定における重要な思想のひとつは書く文字と読む文字をできるだけ近づけることであった。そのために積極的に略字体を採用している。それは「当用漢字字体表」のまえがきに,「この表の字体は、漢字の読み書きを平易にし正確にすることをめやすとして選定したものである。」と謳っていることからも明白である。 しかし,もともと書き文字と読むための文字(何らかの書体)は違うものであるという認識が必要なのであるが,この認識の欠如が多くの外字を生み出す原因になっているというのが私の持論である。 さらに,その原因を現在の義務教育における漢字指導にも求めることができそうである。むしろ本質的な原因とも言えるかもしれない。 次回は,この問題について考えてみたい。

