« まとめ | Main | ふたたび「非」の字形問題 »
2007年12月29日
…【表外漢字字体表の「字形問題」】
まず「常用漢字表」の解説を検証する
これから何回かにわたって『表記外漢字字体表』における字体差/デザイン差を論じようと思う。もちろん,もとよりこの字体表の存在意義自体を批判したり否定するつもりはまったくないが,この字体表の例字字形と,この字体表の解説については大きな問題を感じざるを得ない。そして,この問題が日本の漢字行政にも少なからぬ影を落としていると考えるのである。
この「問題」を論ずる前に『常用漢字表』について指摘しておかなければならないことがある。常用漢字表には「(付)字体についての解説」という項があるが,この中の「第一 明朝体デザインについて」では,
常用漢字表では,個々の漢字の字体(文字の骨組み)を,明朝体活字の一種を例に用いて示した。現在,一般に使用されている各種の明朝体活字(写真植字を含む)には,同じ字でありながら,微細なところで形の相違の見られるものがある。しかし,それらの相違は,いずれも活字設計上の差,すなわち,デザインの違いに属する事柄であって,字体の違いではないと考えられるものである。つまり,それらの相違は,字体の上からは全く問題にする必要のないものである。以下,分類して例を示す。と述べた上で,例を示している(上記引用文アンダーラインは筆者)。
上記引用文の文面からは,
微細な差であれば,それは字体差ではなくデザイン差である。
と解釈できるのだが,それはほんとうであろうか。
常用漢字表においては,「微細な差」の定義は具体的かつ定量的にはまったくなされていない。たとえば,例の“2(1)長短に関する例”として「雪」,「満」,「無」,「斎」が挙げられているが,この例は「長短が字体差にならない文字」を選択表記しているだけである(下図)。
右図を見ていただきたい。
これらの長さの違いのどこまでが「微細」で,どこからが「微細とは言えない」のかという線引きは,まったくどこにも定義されていない。
その他にも,「つけるか,はなすかに関する例」,「接触の位置に関する例」についていくつかの字例が挙げられている。しかし,それならば「己・已・巳」などは微々たる差か。
さらに「交わるか,交わらないかに関する例」も挙げられているが,「由・申・甲・田」はどうか。
また「はねるか,とめるかに関する例」として「四」,「配」,「換」,「湾」が挙げられているが,「木」は入っていない。「第2 明朝体活字と筆写の楷書との関係について」では「木」が対象になっている。つまり,筆写の楷書では木の二画目収筆をはねようとはねまいと関係ないことを示しているものの,明朝体活字においては,このハネの有無は微細な差とすることはできないということなのであろう。しかし,そういうことについて,それ以上のことは述べられていない。
要するに常用漢字表の「微細な差」の定義は,いくらでも恣意的に判断し得る曖昧さを有していると言えるのである。そして表外漢字字体表においては,「字体の違い」と「デザインの違い」との関係を,常用漢字表に示されている考え方を基本的に踏襲する,としている。「曖昧さ」を踏襲すると断言しているようなものであるから,表外漢字字体表の表現も推して知るべし,だ。詳細は次回以降に。
【追記】
たぶん,この稿が今年最後になると思います。ご訪問,まことにありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。よいお年を。
posted by gen : 2007年12月29日 21:55
Trackbacks
http://www.nagamura.jp/moji/minchou/mt-tb.cgi/78
Comments
>当然ながら「土・士」は字体差どころか別字である。それでは「吉」の場合は字体差かデザイン差か。
2007年11月04日の Comment をしたからには、今回も一言申し上げざるをえません。
学研漢和大字典による藤堂明保説の漢字の成り立ちとして、「吉」は「ふた付の壺」であり、「樹」の中部は「立てた豆(たかつき)」であり、「土」(もりつち)や「士」(男根)とは無縁です。
明朝体のデザインとして偶々「士」と同じような形が有力になっただけの話であり、どちらの形が正しいということでもないでしょう。
「曖昧さを有している」ほうがデザインの自由度が増して好ましいと私は思っています。
posted by 和田 徹 : 2007年12月30日 19:53
コメントをありがとうございました。
「吉」は,文字の意味構造としてはもちろん口の上に土が乗ったものではありませんから「土/士」と「ツチヨシ/サムライヨシ」には何の関係もないわけです。このような見方は,まさに白川静先生が強調されていたもので,和田さんのご意見にはまったく異存ありません。
ただ,現在の字形論の趨勢は,もともとの漢字の成り立ちをベースにはせず,もっぱら形状の類似性にのみ力点を置いた解釈になっています。良し悪しは別として,こういう潮流を無視することはできません。なぜなら文字は一種の社会現象でもあるからです。ルーツに無関係に似たもの同士を一緒に扱う傾向は当用漢字表以来,とくに顕著になったように思えます。
藤堂明保先生の『学研漢和辞典』においては,ツチヨシはサムライヨシの異体字であると述べられていますが,異体字のレベルとは認めない考え方も多く,むしろその方が主流かもしれません。JISもサムライヨシしか収載されていない。だからこそ作家の吉目木晴彦さんが「自分の姓はツチヨシだ」と叫ばざるを得ないわけです。きっと牛丼の吉野家も,心の中(!?)ではそう思っているかもしれません。
JIS包摂基準をみると,何と「柿とコケラ」を包摂しています。部分字形「王と壬」も包摂されていますね(これはいの一番にでてきます)。「己と巳」も,「ヒと匕」もそうです。つまりJISの包摂基準というのは本来の解字解釈とは別次元でできているわけです。
ところでJIS包摂基準では不思議(?)なことに部分字形「土」と「士」については何も触れられていない。これは,もともと「字体」の包摂基準を適用するに当たらないということでしょう。
そういう実態を踏まえて,部分字形の「土/士」などは,どのレベルでは字体差になり,どのレベル(以下)ではデザイン差になるのかということを分析する必要がありそうだというのが,ここでの論旨です。結論的に言えば,文字使用環境ごとに粒度がちがうのではないか,と踏んでいるのですが,この文章だけでは言い尽くせていませんので続きをお読みいただければと思います。
あと2時間ほどで年が変わります。これまで貴重なコメントをお寄せいただき,ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。よいお年を。
posted by GEN : 2007年12月31日 21:55
>ただ,現在の字形論の趨勢は,もともとの漢字の成り立ちをベースにはせず,・・(中略)・・とくに顕著になったように思えます。
無知から発する俗説は無限に湧き出てきます。こんなものに振り回されて「解説」を改訂してゆくなど税金の無駄づかいです。
>JIS包摂基準をみると・・(以下略)
「包摂規準」であり「基準」ではありません。
明朝体字形がどうあるべきかの話に、過去に現れた文字の文字コードを決定するための(私には後知恵にしかみえない)手引き程度のものであるJIS包摂規準を持ち出すのはおかしなことです。
posted by 和田 徹 : 2008年01月02日 09:20