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2007年11月04日 …【漢和辞典の字形を「斬る」】

「非」の4画目問題

ひとつの例を挙げることからはじめたい。

俳句雑誌2誌の背文字.JPG
左図に示すのは角川書店発行の雑誌『俳句』と富士見書房発行の雑誌『俳句研究』の背表紙(部分)であるが,両者の「俳」字の字形が若干違っていることがわかる。旁「非」の4画目、すなわち左下の右ハネアゲ収筆部が3画目を貫いているかどうかという瑣末な差だが,ほんらいはどれが正しいのだろうという疑問を持つ人もいるに違いない。
「どちらでも良い」というのが正解だが,そうは思わないという人がいたとしても不思議ではないのである。この文字は常用漢字であり,『常用漢字表』の例示字体では「出ていない」ので、多くの書体設計においては,この例字字形を踏襲して「出さない」デザインにしているのである。JIS例字字形においても例外ではない。
ところで常用漢字表の「(付)字体についての解説」の中で,
常用漢字表では,個々の漢字の字体(文字の骨格)を,明朝体活字のうちの一種を例に用いて示した。現在,一般に使用されている各種の明朝体活字(写真植字を含む。)には,同じ字でありながら,微細なところで形の相違の見られるものがある。しかし,それらの相違は,いずれも活字設計上の表現の差,すなわち,デザインの違いに属する事柄であって,字体の違いではないと考えられるものである。つまり,それらの相違は,字体の上からは全く問題にする必要のないものである。以下,分類して例を示す。
として,この中には「交わるか,交わらないかに関する例」として「非」が示されている。4画目の右ハネアゲが1画目を貫くかどうかは単なるデザイン差に過ぎないということを教えているのである。
常用漢字表の例字明朝体として用いられた大蔵省印刷局(当時)書体における「非」は,ひとつの思想に貫かれている。全字形の「非」のみが4画目の右ハネアゲが1画目を貫く字形であり,その他の「非」が部分字形になっている文字(拝,俳,排,輩,悲,扉,など)の「非」は1画目を貫かない字形なのである。部分字形となって空間がとれない場合にすっきりさせる意図があるのかもしれないが,合理的と言える。
しかし表外漢字表の例字字形は,たとえば「徘,誹,靡」など部分字形として「非」を持つ文字があるが,これらはすべて4画目の右ハネアゲが1画目を貫く字形になっているのである。
先に引用した常用漢字表のデザイン相違の説明があるにも関わらず,表外漢字字体表制定に際して,例字字形表示用に採用した平成明朝体(たとえば「徘,誹」は平成明朝体では「貫かない」形の書体としてデザインされていた)デザインをわざわざ変更してまで「出る・出ない」にこだわった。
ただでさえ「出る・出ない」レベルまで例字字形追従の神経質的デザインが蔓延している現在,表外漢字字体表がこのような変更を行って「字形調整」をした結果,その例字字形と同じ字形が要請されているというトンデモナイ勘違いが横行し,
  • 非 : 4画目の右ハネアゲが1画目を貫く
  • その他の,「非」が部分字形になっている常用漢字 : 貫かない
  • 「非」が部分字形になっている表外漢字 : 貫く
という規定ができてしまったかのようである。
「俳句研究」背のロゴ.JPG
しかし現実には,どちらの字形もあって当たり前である。前述の富士見書房発行の雑誌『俳句研究』では,背の「俳」は貫いていないが右に示す表紙ロゴでは貫く字形が採用されている。ほんらい,この差に対して目くじらを立てるまでもないのだが,疑問に思う人はいるだろう。学校教育でも,この種の違いなどは「どちらでもよい」という思想を教えていないと思う。どちらかにしないと気が治まらないというのが日本の教育スタンスだから,「こうでなければならない」と教えたがる。
それでは「貫く“俳”」と「貫かない“俳”」のどちらが正しいのかという疑問に対して,漢字の辞書であるはずの「漢和辞典」は回答を与えているであろうか。現存するすべての漢和辞典に目を通したわけではないので断定は避けるが,ほとんどの漢和辞典は「否」である。
明治期につくられた漢和辞典は,もともと漢字に対する素養を身につけている人が漢文を読解するために参照するリファレンスとして編纂された。しかしいまの漢和辞典の主たる目的が同じであるとはとても思えない。いまの平均的国民の漢字全般に関する知識の度合いはどの程度か,どんなことが理解しにくいのか,多くの人が誤解していることは何か,などを十分に分析・斟酌した上で,それらに応えることができる漢和辞典の出現が待ち望まれているように思えてならない。

【備考】常用漢字表と表外漢字表の文字字形分析については,別途,章をあらためて論ずる予定である。

posted by gen : 2007年11月04日 11:36

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Comments

漢和辞典に漢字字体字典としての役割を期待するのは無理かとおもいます。
活字/フォント業者に全漢字につき部分字形を統一してつくりなおせ、などといえる出版社/編集者はいないでしょう。
小中学校におけるの漢字教育(特に書道)に問題があるということには賛成します。
「土/士」「未/末」「大/犬/太」は棒の長短や点の有無が重要だが、
「吉」「志」「天」「者」「歩」においては字体の本質とは関係ない、このくらいおおらかに教えられ育てられれば、
「トンデモナイ勘違いが横行」することはなかったのではないでしょうか。

posted by 和田 徹 : 2007年11月07日 09:30

漢字教育問題はまったくその通りで,戦前のように,もっと書道教育に時間を割いて楷書や行書をしっかり教えれば,自ずから漢字字形のどこが重要でどこが自由かを体得し得たはずです。しかし,いまは明朝体という「読む」書体と,書き文字としての楷書の違いさえ満足に教えようとしていないことはご承知のとおりで,これが諸悪の根源ではないかと思えるほどです。
なお,「漢和辞典の役割」については和田さんとはやや思想を異にしますが,この章の最後のまとめで,もう一度触れさせていただきたいと思っています。
いずれにしてもコメントをありがとうございました。

posted by GEN : 2007年11月07日 10:42

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