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2007年02月22日 …【明朝体の様式】

明朝体様式に要求されること

様式とは何か

楷書は書家の息遣いまでわかると言われる。それは紙に残された墨の跡の表情から,単なる静的なカタチだけにとどまらず,押圧の強さや速度,さらには筆が空中にあるときの動き(虚筆)までも「再現」できているからに他ならない。
そういう視点で見たとき,「明朝体は楷書を様式化したもの」と単純に定義することはできない。明朝体と楷書のストローク構造は一対一には対応できないからである。したがって厳密には筆の動きを正確に再現することは不可能である。
それでは,明朝体様式とは何か。
その前に「様式とは何か」を確認しておくことにしよう。広辞苑によれば,

  1. さま。かたち。特に,一定の形式。
  2. 芸術作品・建築物などの形式的特徴を総合したもの。特定の時代・流派・作家などの表現上の特性を示すもの。
とされている(一部抜粋)。
しかし「明朝体様式」というときには,さらに深い意味を持っていることに注意すべきである。少なくとも現在は文字の字形的規範として明朝体が用いられている。
常用漢字表,表外漢字表(印刷標準字体),人名用漢字,JIS規格のすべてが明朝体で示され,それらの微細な形状差が議論の種になる。そこには単なるひとつの形式としてだけではなく,文字の構造を明確に(誤ることなく)示す指標としての位置づけを持たされているのである。
このことは,デザイン的な要素だけから形状を決定することはできないことをも意味する。しかし事態は複雑である。もともと明朝体の様式には,正しい構造を示していないものがあるからである。
次の文字を見ていただきたい。
明朝体様式の特徴.jpg

「口」の丸印部分は一画目の収筆部と三画目の起筆部である。しかし次の「区」の丸印部分は,表現上は「口」の丸印部分と同じであるものの,一画目の転折部であってひとつのストロークであるから同じ運筆を表現したものではない。
「糸」の丸印部分は二つとも転折部であり,別のストロークに数えてはならないものである。しかし,そのことをわきまえなければ,どう見ても八画に数えたくなる。「見かけ画数」の例としてよく出される「衣」についても,この丸印部分はひとつのストロークである。
日本人であれば,これらのことについては常識として判断できることには違いない。義務教育の過程から,これらの文字要素としての字形,運筆,画数の数え方の関係を教えられているからである(とは言え,2006年9月6日のこのBLOG『(2)教科書に用いられている明朝体の実態』で記したように,こうした「常識」を醸成することを拒む教育も行われていることを銘記していただきたい)。
一方,教育で摺り込みがなされた字形要素以外の文字ではどうであろうか。この点についてはあらためて取り上げることとし,もっと卑近な文字の問題を取り上げて考えてみたい。

漢和辞典について

「卑近な文字」を取り上げる前に,明朝体様式の意義を再確認しておく。そのためには「漢和辞典の使い方」に触れておく必要がある。
漢字を調べたいときには漢和辞典を利用する。この検索の仕方は,

  • 部首から引く
  • 総画数から引く
  • 音訓から引く
の三種類である。しかし大型の辞典では収載文字数が多いために,部首だけから順番に探すのは極めて効率が悪い。けっきょくは「部首+総画数」の組合せになろう。音訓から引くのは簡単だが,そもそもわからない漢字は「読めない」ことが前提であろう。
さらに「部首」に関しても問題がないわけではない。個々の文字の部首が何であるかは,単純にはわからない文字も多いのである。漢字はいくつかの部分要素の集合としてつくられており,代表的なものに偏旁冠脚がある(かつて,すべての漢字を二分割法で分割してつくられたデータベースがあった)。とりあえずいくつかの要素に分割はできるのであるが,そのどれが部首になるのかということになると,構造上だけからの決まりはないのである。
たとえばモンガマエを含む文字のすべての部首がモンガマエなのではない。「開」,「閉」,「間」はモンガマエであるが,「問」の部首は口,「聞」は耳である(とくに「問」,「聞」は常用音訓でモンになっているだけに勘違いしやすい)。
「截」は戈であるが,「栽」は木,「裁」は衣,「載」は車である。また「止」は部首だが,「企」の部首は人,「郷」はオオザトであるが「郷」を部分字形として持つ「響」の部首は音である。「暦」はガンダレのようにみえるが,この部首は日である。
このように並べてみると部首の性質も見えてくる。
部首で分類するということは『説文解字』に始まるという。214部首に分けたのは『字彙』かららしく,それがそのまま『康煕字典』に踏襲された。『説文解字』から部首は字形と字義の両方の要素を取り入れた折衷的な思想に基づくものであったが,その過程では,字形のみによる部首も現れている。しかし214部首は字形・字義の折衷方式で定義された。
部首が字形のみの要素で決められていれば,その文字の義がわからなくても引けるのであるが,字義と関連付けられるものについては,当該文字の意味がわからなければ類推することはできない。このような事情から多くの漢和辞典では,たとえば「問」は「モンガマエ」と「口」の両方の部首索引に置く,というような対応をしているのであるが,しかしこれはあくまでも漢和辞典の「親切」であって,本来の部首のところでしか検索できない辞典があってもおかしくない。
このように考えると部首検索のみに頼るのは実用的ではなく,どうしても総画数検索が中心にならざるを得ない。したがって調べる対象の漢字は「画数がわかること」が必須条件になるのである。
【注】本来は「形・音・義」のそれぞれから引けるものにしていかなければならないと思う。情報化時代の今日にあって,漢和辞典の検索性の悪さは特筆ものといえよう。

明朝体に要求されるもっとも重要な「様式」

漢和辞典には例外なく明朝体が用いられている。明朝体が文字を表わす規範書体だからである。また,暗黙のうちに「被検索文字」も明朝体であるという前提がある。「被検索文字」が明朝体であることを前提とするということは,「明朝体であれば,その文字の骨格,運筆,画数などの情報を知ることができる」ということでもある。そこに「規範書体」としての意味がある。
話は脱線するが,Windows Vistaの標準フォント「メイリオ」はゴシック系の書体である。これに対して「JIS X 0213の例示字体」を適用した。その裏には「印刷標準字体に合わせる」という趣旨も働いているという。しかしおかしくはないか。ゴシック体の書体に印刷標準字体を適用することはできるのか。厳密にはできないし,また,その必要もないのではないか。
明朝体に比較して,ゴシック体の表現はさらに簡略化されているから,文字の骨格,運筆,画数などの情報を明朝体と同等に表現することは望まれていない。そもそも厳密には「できない」のである。

イリヤネとヒトヤネ.jpg
左図はゴシック体の「入ヤネ」と「人ヤネ」の字形をみたものである。上がMSゴシック(ただしバージョン2.3),下がメイリオであるが,前者の方がこれらの差を明確に表現できているのに対して,メイリオはたしかにこれらの部品表現を区別したデザインにしているものの,誰が見ても正しく認識できる明確な差を表現しているとは言い難い(表現の普遍性がないという意味で)。こうしたデザインコンセプトで印刷標準字体を厳密に適用することには無理がある。
ちなみに,ゴシック系書体のデザインには,大きく分けて2種類ある。プロ用書体の例で言えば,モリサワの“MB系”と“新ゴ”を挙げることができる。前者は起筆・収筆アクセントを明示的に表現しようとするデザイン,後者はアクセントをつけないデザインである。したがって,MSゴシックは前者に,メイリオは後者に分類できる。後者のデザインは写研の“ゴナ”にはじまったものであるが,この書体はラインをきれいに見せる見出し用書体としてデザインされた。そもそも明朝体と同様の字形再現を目指すものではなかったのである。メイリオの字形構造再現力も同じようなものである。
サカドリの形状.jpg

もうひとつだけ例を挙げる。左図の上から,MS明朝,MSゴシック,メイリオであるがメイリオとMSゴシックではサカドリの五画目をはねていない。一方,『常用漢字表』,『表外漢字字体表』ともにすべてのサカドリをはねているのである。ただし,MS明朝もハネル・ハネナイのユレがあり,そのレベルでは常用漢字表の字形とも合致しない文字がある(バージョン5.0でも同じ)。
「メイリオ問題」は多々あるが,
メイリオが印刷標準字体をサポート
という「表面上の事実」が独り歩きを始めると,かなりの混乱が生じるのではないか。やはり,少なくとも現状では「規範書体」は明朝体のみの世界で考えるべきではないであろうか。逆に,それだからこそ明朝体の表現には注意を払う必要があるということである。

次回は具体的な文字を例に,明朝体様式を考える。

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2007年02月18日 …【最近の話題】

「悠久の美」展を見る

文字も鑑賞できた「悠久の美」展

東京国立博物館平成館で開かれている「悠久の美」展を見た。点数は61点と少ないが,副題に「中国国家博物館名品展」とあるように,極めて見応えのある中国の国宝級のものばかりである。
もとより,この種の逸品を見るのは初めてではなく,むしろ多いほうかもしれない。とくに台湾の故宮博物院には何回も通って具に鑑賞しているが,今回は初見のものがほとんどで感激を新たにした。
この展示物は,新石器時代から唐・五代までの,土器,青銅器,玉器,金銀器,青磁,唐三彩などである。とくに青銅器が25点もあり,商,春秋時代のものが多かっただけに,そこに刻され,あるいは鋳込まれた文字を見ることもできた。
大汶口出土の玉琮(玉器の一種で円筒形をなすもの)には,漢字のルーツではないかと言われている記号が細密な線で刻されているのだが,これは光線の具合もあってほとんど視認できなかったのは残念であった。

Enkouu.jpg
文字が書かれた青銅器はいくつかあり,中でも西周時代の「匽侯盂」(えんこうう=盂とは大型の食器)の内側上部に書かれた銘は,わずか5文字に過ぎないが,造形的にもすばらしいものである(図:解説書より転載)。おなじく西周時代の「〓(素に命)鎛」(めいばく=鎛は鍾の一種)の外側四辺に細く刻された文字もたいへんすばらしい。
さらに,実際には置き方の関係で正面からみることはできなかったが,「天亡簋」(てんぼうき=簋は神に捧げる食物を盛って供えるための底の浅い容器)の底に記された金文の拓本が解説書に載っている。これは書芸術に通じると言ってよいほどのものであろう。
いずれにしても,これらの文字を見ていると現在の漢字とつながっていることが実感できる。この連続性を無視して漢字の字形を規定してはならないと,つくづく思うのである。

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2007年02月09日 …【最近の話題】

Vistaの文字問題

新しいWindows OS“Vista”の登場

1月30日にマイクロソフトはWindows Vistaを発売開始した。それに呼応してパソコン雑誌も“Vista特集”を組んで宣伝に力を入れている。パソコン雑誌としてはOSが変わったときが一番の売れ時なので力が入るのも頷ける。しかしその中から数冊を選んでパラパラとページをめくってみて強く感じることがあった。“Vista”をよいこと尽くめのように持ち上げていて,大きな問題の存在をはっきり書いているものはほとんどなかったのである。
しかし,もちろんそんなことはない。文字問題がそれである。

Vistaの文字問題とは

今回のOSではシステムフォントとして新たに「メイリオ」という書体が搭載された。この書体名は「明瞭」が訛ったものだそうであるが,その書体の字体までも訛ってしまった。漢字122字について,従来のMS明朝,MSゴシックの字体とは変わってしまったのである。それはたとえば次のようなものである(右がVistaで採用された文字の字体)。
90字体と2004字体.jpg
このことは決して小さな問題ではない。同じ文字コードで字体が変わってしまうことになるのであるが,そのデータをみた人は,それがどの字体の文字を書き手が選択したかったのかを知る手がかりがないのである。
もう少し詳しく説明する。
たとえば,ある人は従来のWindows XPを使って文書をつくり,ある人はWindows Vistaを使って文書をつくる。標準で搭載されている文字種の範囲で文書をつくれば,上述の122文字種についてこの二つの文書の間には字体の異同が生じることになる。しかし,その文書を他の人が受け取って自分の使っているパソコンで処理した場合,書き手の意図に関わらず,表示・出力される字体は受け取った側の環境によって決まってしまうのである。
この関係を簡単に図示してみよう(「ケース1,2」と「ケース3,4」は同じことを言っているのであるが,ユースケースとしてイメージしやすいように分けて図示した)。

開く側では字体はわからない.JPG

問題なのは,受け取った人にとって,書き手がどのOSを用いたのかがまったくわからないことである。したがって書き手が従来の略字体で書きたかったのか,あるいは今回採用された旧字体(いわゆる康煕字典体)にしたかったのかがわからない。文書データのプロパティをみても,OSまでは示してくれない。したがってデータだけからは書き手の意向を判断するすべがないのである。
自分が文書をつくって自分で使うだけなら何の問題もない。しかしたとえば複数の著者からの原稿を集めてひとつの書物にしようというときのワークフローを考えると,データ自体は何も語ってくれず,最後は人が一件ずつ確認する以外にないことになる。
市名や地名などの固有名詞が多い文書を印刷するところでは,おそらくそれらのコミュニケーション費用も膨大になるであろう。しかし,こんなに大きな問題を抱えるにも関わらず,あまり大騒ぎされていないのが実情である。

PAGE展では?

今日までの3日間,日本印刷技術協会主催のPAGE展が東京・池袋のサンシャインシティで開催された。さすがにここは印刷業界中心の展示会であったから“Vista文字問題”の関心は高かったといえる。いくつかのチェッカーやプラグインが発表されていたし,字体変更前と後の両方のフォントを用意したり,コンバートテーブルを用意したり,というソリューションもあった。そしてそれらの説明には人だかりができていたことは関心の高さをうかがわせた。
チェッカーのひとつは,まだ参考出品ということであったが複数の文書テキストファイルをサーチして変更対象文字の有無を検知,それを別ウィンドウで示すものであった。このツールもそうであるが,最後は人間が確認せざるを得ない。全自動で判断することは難しいように思う。
このPAGE展の併設コンフェランスの一環で,一昨日にあるトークショーがあって出席したが,そこでもVistaの話で盛り上がった。そこの発言にもあったことであるが,実はこの問題,マイクロソフトの責任とは言えない。もちろんVistaを搭載したパソコンを販売しているメーカーやディーラーの責任でもない。「国家標準たるJIS規格の問題だ」という指摘も上がった。
しかしそうであろうか。たしかに直接的にはJIS X 0213:2004に沿って実装したことがこのような事態を招いたといえるのであるが,さらにその原因は『表外漢字字体表』に行き着く。これが「印刷標準字体」と位置づけることが強要され,それに漢字規格と文字インフラが従ったまでなのである。
マイクロソフトの「Microsoft® Windows Vista™ における JIS X 0213:2004(JIS2004)対応について」においても,

マイクロソフトでは、日本文化に根ざした情報化社会の実現を引き続き支援するために、Windows Vistaで、「国語施策として示されている印刷標準字体」および「法令に基づく施策である新人名用漢字」の双方に対応した最新のJIS規格、JIS2004に対応した日本語フォントを搭載しています。
と記載している。この表現は間違いではない。

教訓が生かされない日本の文字行政

実は,このような問題が生じたのは初めてではない。いわゆる78-83問題というのがあった。
コンピュータで扱う漢字のJIS規格は1978年にJIS C 6226として制定された(後に,規格番号がJIS X 0208と変更された)。JIS規格は5年ごとの見直しをするのが原則となっており,この規格も制定5年後の1983年に改定が行われたのであるが,このときに約180字の字体入れ替えをしているのである。
たとえば,よく引き合いに出された例として,
鷗 → 鴎
蠣 → 蛎
などがあり,「森鷗外」が「森鴎外」に,「蠣殻町」が「蛎殻町」になってしまったということがおきた。しかし1983年といえば,まだインターネットもなく,パソコンを使って商業印刷を行う環境もなかったから,もっぱら個人または企業内ユースでの問題に留まっていた(日本語DTPの登場は1985年である)。すなわち,A社のパソコンで文書をつくって画面で確認した文字の字体と,それをB社のプリンタで印字した字体が違う,という問題がほとんどだったのである。当時のワープロは,まだ文書清書機として使われていたので,印字してみてはじめて違いに気付くということになったわけである(下図)。
78-83問題.JPG
しかしこの問題も大きくとりあげられ,JIS規格の管理省庁である当時の通産省には多くのクレームが寄せられた。そこで1990年のJIS改定では,このクレームに懲りて「字体はいじらない」という原則を固持したのであった。それが2004年の大改定で大きく変えてしまったのは,国語政策に引きずられたとは言え過去の教訓を生かせなかったといわざるを得ない。本来は歴史のぜんまいを逆に回すことなどしてはならないのである。そういう意味でも,いまさら康煕字典体か,ということについての議論もしていかなければならないであろう。
とくに,現在は1983年当時とは影響の度合いが比較にならないほどコンピュータインフラは拡大し,しかも印刷技術の中枢にまでなってきた。「表外漢字表」制定において,この種の変更が社会に対し,日常生活に対し,そしてとくに文書を扱う産業に対してどのぐらいの影響が出るのか,といったシミュレーションがどの程度行われたのかは極めて怪しい。そういう意味でも,今後しっかり検証していかねばならないであろう。

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2007年02月03日 …【最近の話題】

『諸橋轍次博士と大漢和辞典』展

新潟県ネスパスで開催の『諸橋轍次博士と大漢和辞典』展をみる

新潟県ネスパス.jpg
表参道の「新潟館ネスパス」で明日まで開催されている『諸橋轍次博士と大漢和辞典』展を見に行った。 もちろん,いつも『大漢和辞典』を座右に置いて仕事に使っている身としては,専門的な知識を得るための展示会ではないことは重々承知のことである。 会場はそんなに広くはなく,しかも展示のほとんどは諸橋轍次博士の生家,『大漢和辞典』の編集風景,博士一生の中でのさまざまなエポックに関する新聞記事,等々の写真と年表が主な展示であった。しかし中には『大漢和辞典]編纂のためのカードや疎開によって戦災を免れた第二巻校正原稿などの実物も展示されていて,これはやはり一種の感慨を持って凝視するだけの価値はある。 一般の人たち向けに,大漢和辞典に収載されている漢字の中でもやや特殊な文字の意味を考えてもらったり,同じく一般に眼に触れるチャンスがほとんどない文字の意味を解説した展示コーナーもあった。 漢和辞典は家庭の中でもあまり紐解かれなくなっているという現在にあって,改めて興味を持ってもらうという意味では有意義な展示会であったと思う。親子連れの姿も見られたのはうれしいことであった。

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