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2006年12月22日
…【社会現象としての文字】
(7)宋代と文字
宋という時代と,その書芸
宋の時代をヨーロッパのルネサンスとそのまま対比することはできないかもしれないが相似点はいくつもある。ルネサンスはフランス語のRenaissance,すなわち再生(「再興」)から来ているが,内容的には古典の教養を土台にした新たな興隆という捉え方もできよう。その意味では宋も同様であった。
宋代は経済的にも潤沢な時代になり,文化に華が咲いた時期である。徽宗皇帝などはあまりに芸術にのめりこみすぎて国を滅ぼす元になってしまったほどであった。徽宗皇帝は政(まつりごと)は蔡京にまかせっきりで書画の世界に没頭した。自らの書風として確立した「痩金体」という独特の楷書を書き,また「桃鳩図」に代表される画も能くしたことはよく知られている。
宋で栄えたのは書画だけでなく,陶磁器で有名な景徳鎮もこの時代になって興隆したところである。文学もまた栄えた。しかも芸術だけではなく,技術の面にも活発な動きがみられた。ヨーロッパのルネサンスを代表する三大発明と呼ばれているものは,羅針盤,火薬,そして活版印刷術であるが,奇しくも中国での印刷術は宋に至って普及する。火薬や方位磁石の発明といった,まさに西欧ルネサンスと同様の科学技術の著しい発達がみられたのも宋代であった。
経済の潤沢は貿易によって齎されたのであるが,それによって裕福な商人が勃興し,古典の振興に寄与したといえるであろう。紙幣が流通しはじめたのも,この時代からである。
こうした時代にあって書画は単に古典を踏襲するということに留まらず,自由闊達な芸風を生み出したのであった。そういう時代背景抜きに,明朝体成立のベースとなった宋の木版印刷(宋版)を理解することはできないものと思う。
宋代の書
この時代を代表する書家は多いが,あえて挙げれば,やはり「宋の四大家」と呼ばれる蔡襄,蘇軾,黄庭堅,米芾(三大家という場合には蘇軾,黄庭堅,米芾)であろうが,その中から米芾の書について,少しみておくことにしよう。
米芾は幼いころから神童といってもよいほどに聡明で文才にも長け,画も能くした。書家としては,王羲之,欧陽詢,褚遂良,顔真卿などを学んだが,最後は古典の形式(とくに表面的な形)にはとらわれない書風を築き上げるのである。
次に掲げるのは米芾の代表作と言ってもよい『虹縣詩巻』の一部である(紙縫の半印は画像処理のために消してある)が,詩も彼の作である。虹縣に遊んだことを詩にし,それを書いたということから最晩年の作であろうといわれている。37行のうちの前半の13行は一行2字に大きく書いている。
「題」,「快」,「天」(ここには出ていないが「健」なども)の右ハライ,「霽」,「天」,(ここには出ていないが「碧」なども)の左ハライ,「淑」(ここには出ていないが「千」なども)の縦画収筆などののびやかさは独特である。これは古典の筆法からの開放を象徴するものとも言え,これは米芾自身の心境を表現したものでもあろう。
もちろん,この傾向は米芾だけのものではない。蘇軾も黄庭堅も,この見方からは同じである。宋の三大家に共通しているのは,古典を学び,それを尊重しつつも,形までも継承しようということはまったくなく,精神の発露としての表現を重用したことであろう。
こうした書の表現が顕在化したのが宋の時代だということができる。そして,その表現の幅が宋代の木版書体に投影したとしても不思議ではない。さらに,その延長が明朝体の誕生につながっていると見ている。
明朝体は楷書を様式化した印刷用書体だといわれるが,楷書という書の原理・評価基準を当てはめれば,必ずしも「よい書」とは認められないであろう。さまざま制約の中で楷書の精神はできるだけ生かしつつ,独自の様式を作り上げた。それが明朝体であったのではないであろうか。
posted by gen : 2006年12月22日 21:55