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2006年11月25日
…【社会現象としての文字】
社会現象としての文字(4)
甲骨文字から小篆,隷書へ
甲骨文字は殷で用いられ,その殷を滅ぼした周は被征服国の文字である甲骨文字をそのまま使用した。このことは必ずしも当たり前とはいえない。常識的には逆のはずである。
自国で文字を持っている国が他国を滅ぼした場合には被征服民に対して自国の文字を使わせるというのが普通であろう。周の場合は自らの文字を持たなかったために甲骨文字を「使わざるを得なかった」ということなのかもしれない。
こうして周は甲骨文字を用いて青銅器に鋳込み,その結果,記念碑文字として広がっていくと同時に,おそらくは一般の筆記文字としてのバリアントも豊富になっていったのであろう。前回に陜西省武功県出土の西周中期の銅器における「正体と俗体」の存在について裘錫圭の指摘を紹介したが,この事実は,こうした広がりを暗示するものと考えてよい。
こうして春秋戦国時代には,骨格の共通性を維持しつつも字形特徴の異なる書体が数多く出現することになる。そして秦の始皇帝が天下統一するころには形も発音もさまざまな文字が林立状態になるのである。
統一後の始皇帝の主要な事業のひとつが文字の統一であったことはよく知られているが,従来の文字ではなく,統一後の文字として新たに小篆と隷書を作ったとされ,それまでの秦では籀文(大篆)が用いられていたという。籀文も全国に広げるには不十分であったのであろうか。しかし文字統一の詳細は,かならずしも詳細にはわかっていないというのが実態である。

なお,小篆は記念碑文字として,隷書は一般の筆記文字としての役割を担ったと考えてよい。1975年に出土した有名な「雲夢竹簡」(右図)は蔵鋒・波磔(らしさ)など,隷書の特徴となる萌芽がすでに備わっている(断っておくが,私自身は現物を見たことはない)。しかも,この文字と同様の特徴を備えたものが,すでに戦国時代中期には用いられていたと考えられる。完全に他の既存文字からの影響を受けずにできるものなどはほとんどないと考えてよいのである。
小篆,隷書から楷書へ
小篆も隷書も,ルーツをたどれば甲骨文字に行き着く。しかし甲骨文字は永い間忘れられてしまった。「説文解字」は,そんな中で編纂されたため,解釈には当然「抜け」があった。
小篆はどちらかと言えばスタティックな文字である。線の肥痩もなく筆順がどうなのかもわからない(篆書書道では標準的な筆順を決めているが,あくまでも便宜的なものである)。したがってムーブメントはまったく感じられない。ただ,固定化された図形としては非常に洗練されていると思う。記念碑文字としての風格を十分に兼ね備えているといえよう。
一方,隷書は線の肥痩が明確で,波磔に代表されるダイナミズムが顕著に認められる。もともと早書きの書としてつくられたためか,実用の書体としての性質を持っていた。そして,それによって漢代に引き継がれ,漢末に至って完成されたといってもよい。秦から漢に引き継がれた最大の理由は,いまでいう行政文書に用いられたからであろう。
柾目を縦に使う木簡に書くのに適した筆画形状として隷書という書体ができた,という解釈はたいへん合理的である。しかし,それならば木簡には他の書体では書けないかというと,そうでもない。つい数日前にも奈良西大寺の食堂院跡で平安時代中期の木簡が多数見つかったという新聞報道があったが,写真を見るかぎりでは行書または楷書のようであり,木簡には隷書しか書けないということはないことがわかる。たぶん筆の性質にも左右されるであろう。書体字形的特長の多くは,とくに筆記具の性質に大きく関係するものなのである。

隷書は程邈が事務の効率化のために発明した書体ともいわれるが,たったひとりの人間が社会で汎用的に使われる書体をつくるということは,ほとんど不可能と考えてよい。書体を使うのもつくるのも社会のあり方に関係する。
隷書ではじめて筆画が明確になり,完成された八分への進化と,早書き形から発した草書の萌芽としての章草まで,その変化も広範なものとなる(上図は波磔の例)。そして楷書の出現を迎えるのであるが,こうした変化の過程で運筆の多様化がもとの字形から次第に逸脱していき,楷書は書体として洗練されつつ規範書体の座を永らく持ち続けることになる。こうして唐代には楷書が標準書体の位置を獲得するのであるが,小篆の字形との整合性は次第に遠ざかり,省みられなくなっていく。しかしこれも社会に根付いていく証拠である。
「康煕字典」では,その楷書の標準的字形を無批判的に踏襲することなく,「説文解字」解釈を拠り所に編纂された。そして,その解釈を金科玉条として,その後の漢字解釈が進められ,また明朝体字形の拠り所として君臨することになり,それはいまでも日本の表外漢字字形の規範になっている。しかしそのこと自体,実は歴史の必然に逆行した側面もあったのではないか。。
次回以降に,そのことについてさらに検討していくことにしたい。
posted by gen : 2006年11月25日 16:58