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2006年11月16日
…【最近の話題】
書けない常用漢字
常用漢字は書けて当たり前か
今月14日付朝日新聞夕刊の文化欄「単眼複眼」に,“「書けない」常用漢字”と題する一文が載った(白石明彦氏の署名文。副題は「文化審議会国語分科会 見直し議論も」)。
ここではまず,文化審議会国語分科会の漢字小委員会での東倉洋一委員(国立情報学研究所副所長)の指摘紹介から始めている。それは日本語のブログ急増によって,「書かれた話し言葉とも言えるブログ言語のはんらんであり,漢字や日本語表現の誤用が増幅されてゆく」と述べ,さらに「漢字を書くのと,かな漢字変換機能で選ぶのとでは使う脳の機能が違う」ために,パソコンで「書く」ことを続けているうちに「書ける漢字と読める漢字は乖離する一方だ」と指摘しているのである。
それに対して松岡和子委員(翻訳家)は「書ける字,書けなくても読める字と,様々なレベルの漢字があっていい,という方向で考えてはどうか」との発言があったことを紹介している。
この文を読んでまず思ったのは,それでは今の常用漢字はいったいどうなのか,ということである。国民最低限の漢字知識という観点から言えば,義務教育でどこまで教えるのかというところを見るしかないのであるが,中学校の学習指導要領では,中学校卒業までに,
- 教育漢字1006字を書くことができ,文章の中で使えるようになること
- 教育漢字以外の常用漢字939字の大体を読むことができること
そして「中学校学習指導要領(平成10年12月)解説-国語編-」の中で,
漢字の読みについて示した字数と書きについて示した字数とに差があるのは,読む漢字と書く漢字とを区別して指導するということではない。生徒の漢字の習得においては,読める漢字の字数と書ける漢字の字との間に差が出てくるという実態を考慮したためである。
と述べられている。理由を述べている後半の文章は何を言おうとしているのかがよくわからないが,しかし学習指導要領で定めているのは上述の二点に収斂される。したがって,今の人たちが常用漢字のすべてを書けないのは,むしろ当然とも言えるのである。さらに表外漢字は読めなくても致し方ない,というのが現在の状況であろう(紙上では先ほどの「乖離」にルビを振っているが,「乖」が表外漢字だからである)。
逆に,「常用漢字の大体を書けること」とするのならば,その前に明確にすべきことがたくさんありそうである。いったいどう書けばよいのか,が必ずしもはっきりしていないからである。
この最後で,文化庁国語課の氏原氏の「学校教育への影響も大きいだけに,慎重に審議していただく」という発言を伝えているが,こうした点を含んだものなのであろうか。いずれにしてもかなりの難題であろうと思う。
posted by gen : 2006年11月16日 23:18