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2006年11月02日 …【最近の話題】

白川静先生の訃報に接して

白川静先生が亡くなられたことを今日の新聞で知った。
朝日・毎日・読売の各紙は一面で報じ,さらに社会面等で白川先生の業績などを紹介していたし,日経でも一面にはなかったものの,社会面では四段抜きの見出しで大きく報じていた。
私は先生に直接お目にかかったことはなく,ご著書によってその業績の一端を存じ上げているだけである。しかし振り返ってみると,私の漢字に対する見方・考え方の多くは白川先生への共感から生まれているといっても過言ではない。私には学者として尊敬する方が3人おられるが,先生はそのお一人である。
漢字学において先生の右に出るものはいないほどの碩学であるにもかかわらず,国の漢字行政にかかわっている国語学者からは軽視(無視?)されているようにも感じることがあるが,それは単に私が論文に目を通していないだけのことかもしれない。しかし,とくに戦後の国語政策に対してたいへん厳しく糾弾されていたことや,『説文解字』の誤りを根本から指摘したりされたことも関係しているのではないか,と穿った見方もしてみたくなることもある。
先生は,

ウソを教育してはいけない。犬のつく字は十二,三あるけれど,『獣』や『献』のように点がついている字がある一方で,『臭』や『突』のように本来は『犬』とすべきところを『大』で済ませている。あまりに思慮が足りない。
と述べている(2005.8.19付 日経新聞夕刊)。
こういう目線で新字体の漢字を批判されたら,戦後国語政策を推進してきた人たちにとってはたまったものではないであろうことは容易に推測できる。
が,そんな俗世の価値観などを超越しているのが「白川静」という存在であろう。
  「白川静」--大き過ぎる。
これは「別冊太陽」の『白川静の世界』(平凡社 2001)の冒頭の言葉である。この「はじめに」には,「白川漢字学」や「白川文字学」は身近だが「白川静学」に入る人は少ない,といった表現も見える。これは『白川静著作集』の中身を言っているのであるが,白川静の全貌を知ることなど,私のような凡人にとっては絶対に不可能と思ってしまう。
しかしたったひとつの文字の意味を知る,というところからの積み重ねだけでもよい。これからも先生についていきたいと思う。
3年近く前,朝日新聞夕刊「文化」欄の「聞き書き 繰り返し見る夢」に先生の話が載った。先生93歳のときである。仕事を終えた後の夢は? との質問に対して,
「大航海時代叢書」を読むこと。僕はほとんど旅行をしないからね。(中略)だから,せめて本の上で時空を超えた世界旅行をしたい。
と語っていた。いまごろ,ほんとうに時空を越えた楽しい旅行を実現されているかもしれない。
奇しくも,先生が亡くなられた先月30日は私の誕生日であった。
心からご冥福をお祈りします。

posted by gen : 2006年11月02日 19:29

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