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2006年10月03日 …【文字の違いとは何か】

文字の「違い」とは何か(4)

ふたたび「女」について

ここで女性論を展開しようというのではない。「女」の字形について再度取り上げ,文字の違い,字形のユレ,手書き文字と印刷用文字の違いなどについて基本的な考察をしておこうということである。

教育漢字「女」.JPG
左図は小学校学習指導要領の『漢字配当表』に示された「女」である。印刷自体がすっきりしていないのでやや見にくいが,二画目の起筆が少し三画目の上に出ているので,学校ではそのとおりに教える。「義務教育における漢字学習(2)」で述べたように,中学校の教科書に使用する明朝体までこれに倣って,二画目の起筆を三画目の上に出しているのである。しかしそこでも述べたように,一般の明朝体においては,この部分はほとんど出していない。すなわち,実際に現在流布している明朝体は,ほぼ次図の2種類に分類できる。この2種類の差は二画目の起筆形状だけ,すなわち起筆時の筆の押さえを象徴している突起(これにはいくつかの名称が付されているが,墨溜りと呼ばれることが多い)の有無だけである。
標準的な明朝「女」.JPG
これを狭義に解釈すれば現在の『常用漢字表』の字形を踏襲しているとも言えるが,この傾向はいまにはじまったことではなく,近代金属活字の黎明期からの傾向でもあった。
たとえば下図は近代日本の金属活字の原型になったともいえる上海の「美華書館」の活字であるが,二画目起筆は三画目の横画の下から出している(この図版は印刷史研究会編『本と活字の歴史事典』 柏書房 2000から,一部を転載させていただいた)。
美華書館の活字.jpg


次の図は文化庁の『明朝体活字字形一覧』に掲載されている部首「女」の一部であるが,これも前述の2分類に当てはまる。
『明朝体活字字形一覧』一部.JPG

それでは最初から明朝体はこの形だったのであろうか。すべての書体がそうであるように,明朝体の成立時期については明確な線は引けないのであるが,大雑把に言って,宋版と呼ばれる木版の文字が元,明時代になって生産効率向上のための統一的な様式を得てひとつの書体としての体裁を整え,金属活字がつくられはじめた清朝代に完成した書体である。
たとえば上図の資料で左から二番目(最左端は部首の表示)は道光版康煕字典の字形であるが,「女」は二画目の起筆がほんのわずかに上に出ているものの,その後の金属活字では出ているものはほとんどない。
まだ十分に調査を行っていないが宋時代のものと明の後期の木版文字を例示しておく。二画目がかなり上に出ている文字があることがわかるが,一方で三画目の横画の上に出ていない字形も存在している。


 南宋「魚玄機詩集」  明朝後期「明僧弘秀集」  明朝後期「文心彫龍」 
南宋「魚玄機詩集」.jpg明朝後期「明僧弘秀集」.jpg明朝後期「文心彫龍」.jpg

よく知られているように,宋版の最初のころの文字は筆で書いた文字を下敷きにして彫ったのであるが,当然,代表的な楷書体がベースになった。そのうち印刷物の需要が増加し,ひとりの彫師がすべて彫るのではなく,縦,横,斜め線などのエレメントごとによる分担制になって単純化・形状の固定化が加速され,楷書の表現はいくつかのカテゴリーに捨象されていく。その過程で「出っ張り」も取られていくという構図が浮かんでくる。結局,活字の母型を彫るころにはすっかり引っ込んでしまうのである。
その過程においては,おそらく,その程度の差では文字の特定に影響を与えないという「厳然たる事実」の存在が根拠になっていたのであろう。
顔真卿『多宝塔感応碑』の「女」.JPG
たとえば左図は顔真卿の『多宝塔感応碑』から採った「女」であるが,二画目は見事に上に突き出している。また,次に示すのは『五体字類』の「女」であるが,二画目の筆が出ているものが多いものの,王羲之の書には三画目の横画よりわずかに下がって起筆しているものもある。
『五体字類』の「女」.jpg
しかし王羲之も二画目をかなり突き出して書いているものも多い。
王羲之1.JPG王羲之2.JPG
左は王羲之の「孝女曹娥碑」(絹本,358年)から,右は王羲之の「官奴帖」(宋拓)から採ったものであるが,いずれも二画目を大きく突き出して書いていることがわかる。
要するに,このあたりの差異は「問題にならない」程度のものだということが言えるのである。手書き文字におけるこの部分のユレをまとめると次のようなバリエーションになる。日常の手書き文字のバラツキはこの程度は十分にあり得るレベルとみて間違いあるまい。
「女」手書き文字のバラツキ.jpg
逆に言えば,上図のような書きぶりは手書き文字では常識的に許される範囲であって,それを印刷用の文字字形のバリエーションとして対応させなければならないものでは決してない。さらに言えば,文字の使用者としても印刷用の文字字形にまでこうした手書きのユレを持ち込むような主張は慎むべきであるということでもある。そこに文字同定の難しさがあるが,しかしそれにもかかわらず文字同定は重要な手続きである。
これについて日本加除出版発行の『戸籍時報』に連載した『なぜ外字は増殖していくのか』の最終回(2006.4月号)に述べたことを再掲しておく。
文字同定という作業は,ある文字が他の文字と別物であると判定することもあるが,逆に同じものであると宣言することもある。同一と判定された文字は独立した存在を否定されたことと同義であり,その存在を肯定してきた当事者にとっては,いわば死刑宣告にも相当する。これはけっして簡単に妥協できるものではないことは十分に理解しつつも,しかしその判定をどこかで行わなければ外字は無限に増殖を続け,社会的損失も莫大なものになってしまうのである。

外字増殖の多くは,「手書き文字と印刷用文字」の字形の混同にあるように思えてならない。だとすれば,この違いの明確化が無用の文字をつくらないための最善の道のように思われるのである。どなたかが「わたりの能力」と言われていたが,外観上の違いがあっても,それを同一とみることができる能力がなければ,とくに文字の世界は破綻をきたす。「違っても同じもの」と「同じに見えても違うもの」の差をわきまえることが必要なのである。
今回は「女」の「出る・出ない」問題を取り上げたが,次回はこれを一般論に敷衍してもう少し掘り下げていきたい。

posted by gen : 2006年10月03日 23:39

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