« 朝日新聞,文字を変える(2) | Main | (4)新聞の題字にみる「教育的配慮」 »

2006年09月17日 …【義務教育における漢字学習の問題】

(3)ほんとうに「わかる」ということ

教育の原点は,ほんとうにわからせることだと思う。「わかったつもりになること」と,「ほんとうにわかること」の間には本質的な違いがあるのだが,その違いが疎かにされてはいないであろうか。教師には,生徒がほんとうにわかったのか,単にわかったつもりになっているだけなのかを執拗に観察していく努力が求められるし,その一方でほんとうにわからせるにはどういう教え方をすべきかを真摯に追求する姿勢が継続的に求められているのである。
「教育とは何か」について,私はずいぶん前から佐伯胖氏の著作で多くのことを学んできた。とくに『コンピュータと教育』(佐伯胖著 岩波新書 1986)は一般向けに易しく書かれた啓蒙書であるが,私は名著だと思っている。この本の第5章“「わかるということ」の原点にかえる”からの一節を引用してみたい。

「わかる」ということは,ああそうですか,そうやりゃあいいのですかということではない。「わかる」ということは,「……にもかかわらず,わかる」ということである。「4という数と3という数が突然7という数になってしまう。そんな不思議なことがあっていいのか。そんなことをほんとうにたしかな事実として信頼し,それに頼ってよいのか。」このような不安,おそれとおののきにもかかわらず,たしかに,たしかに,それでいいと受け入れることが,「わかる」ということの本質だと思われる。このような「わかる」瞬間,私たちは人類の何万年もかけた文化の歴史がこの一瞬の中に凝集されていることを感じる。人はシンボルを使うことを知った。そして,シンボルを通して,本当のことがわかることを知った。ああ何とすばらしいことだったかという感動や,それをしみじみ味わう働きがわきおこっているはずである(この何十億もある脳細胞のどこかでは)。

いまの小学生や中学生の勉強離れが深刻化している。それは教室に座って教師の話を聞いていても,ほんとうに「わかった」と実感できることが少ないということにも原因があるのではないであろうか。真の教育改革というのは,「何を」よりもまず「どう」教えるかについての見直しから始めるべきではないかと思う。
このことはおそらく漢字学習についても言えることであろう。ほんとうにわかれば興味も湧いてくる。ひとつの形を示して,「とにかく,これとまったく同じ形に書けるようになりなさい」とだけ命令しても,わかることには繋がらないし漢字に対する興味などは持てるようになるとは思えない。
もちろん,「まなぶ」は「まねる」ことから始まる(というより,この二つはもともと同系のことばのはずである)。しかし「なるほど,そういうことなのか」と心から納得できるストーリーが,漢字にはかならずある。それが表意・表語文字の強みでもある。小学校第一学年で教える,たった80字の漢字についてさえ,そういうストーリーはいくらでも語ることができるのである。単に「こう書きなさい」と言って無機的な反復練習をさせても興味が湧いてくるはずがない。興味を抱かせることができるストーリーを考えるのが教師の仕事であろう。
たまたま前回に例として出した「女」は第一学年で習う漢字であるが,二画目の先を出す・出さないなどといった「瑣末な」ところの指摘に終始していては,面白いはずの漢字もつまらないものになるであろうし,その「瑣末な」部分を間違えないようにするために二画目と三画目の筆順を変えてごまかす,などというところに知恵(?)を働かせる子供もでてきてもおかしくない。この種のゴマカシの悪影響は,ずっと後まで尾を引くものである。
前回,「無菌室的」と称した教育的配慮,すなわち明朝体にまでも教科書体で教えた「出る・出ない」レベルの細工を施してまで,書体の違いをしっかり説明する義務を破棄する教育とはいったい何なのであろうか。しかもその種の教育的配慮は教科書の中だけにはとどまっていない。次回は簡単にこの点について触れておきたい(※ 今回ここに述べたことが,すべての小中学校の教育姿勢において見られる現象と言っているものではないことをお断りする。しかし現在,漢字理解力の低下という厳然とした現実がある以上,問題がないということはありえない。これはもちろん,教師の資質に依存する面も強いと言えるのかもしれない)。

posted by gen : 2006年09月17日 18:38

Trackbacks

http://www.nagamura.jp/moji/minchou/mt-tb.cgi/12

Comments

なぐり書きですみません。
あまり内容が無いですが、思わず、コメントをクリックしてしまいました。
「ほんとうにわからせるにはどういう教え方をすべきかを真摯に追求する姿勢」には、とても賛同します。
自分を振り返ってみると、「ほんとうにわかる」ように感じるようになったのは、大人になってからです。(でも、実際のところ、「ほんとうにわかる」ように感じるにつれ、「ほんとうにわかっている」とは言い難くなってきていますけれど。)
話は少し変わりますが、アサヒコムの連載コラムに「ゆき姐の子育て応援エッセー」というのがあります。その中で、アメリカの小学校の教育内容が記載されている回があり、「自分で考える」ことや「言葉でうまく表現する」ことに中心を置いているという風なことが紹介されていました。「大変そうだけど、
そういうことを小学校から学べるなんていいなぁ」と思いました。

posted by Okuh : 2006年09月19日 15:27

Add a new comment




 
Powered by Movable Type 3.3-ja
Copyright (C) 2006 g-hit.com. All Rights Reserved.