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2006年09月07日
…【義務教育における漢字学習の問題】
(1)戦前・戦後の漢字教育の差を考える
まず,紀田順一郎の「“正しい漢字”のルーツを探る」(大修館書店刊「月刊しにか」1995.5月号所収)の中から,その一部を引用したい。
(前略)
いまにして思えば小学生にすぎなかった私の身体のどこかに,古い手習いの時代の感性が息づいていたのではなかろうか。知識も道徳も一切が手習いという行為から入るしかなかった寺子屋式教育の伝統ともいえる。そうした筆書き文字の絶対的な地位は,明治の活字時代に入って相対化されたとはいえ,なお明朝体の向こうに楷書体の筆書き文字を意識してしまう性格ないし能力が,私およびそれ以上の世代には意識せずして身に備わっていたもののように思えてならない。それを一口にいえば,活字視認の能力ということになる。
現代の教育の場で,あるいは一般社会の文字環境下で決定的に欠如しているのは,まさにこの活字視認の“二重性”の自覚なのである。明朝体を仮のシステムとし,そのかなたに筆書きの生理に即した楷書体や行書体を見る能力さえあれば,ハネるのが正しいか,トメるのが正しいかなどという次元のことは問題にもなるまい。そのようなことは旧世代なら身体が記憶していた。いや,身体から引き出すことができたといえよう。
(後略)
紀田氏が言われるように,戦前と戦後では漢字教育の視点はかなり変わった。
それでは楷書体での表記を,どうやって覚えるのであろうか。
小学校では1,006字の漢字を6年間で教える。ここで教える拠りどころは「教科書体」であり,『小学校学習指導要領』のなかの「学年別漢字配当表」に字形が示されている。教科書はこの書体で組み,教師はこの形そのままに教える。もちろん,教室ではこれらの漢字を教えるに際して漢字字形としての意味,骨格,筆法等についても理解させることになる。
この「教科書体」は楷書の一種であるから,かなり粗い言い方をすれば小学校で習った教科書体の書き方で書けば楷書で書いたといえる。しかし学校で教える教科書体は良くも悪しくもたったひとつの字形である。「学年別漢字配当表」に示された字形を「寸分違わずに」教えるからである。
しかし楷書の筆法は一種類ではない。さまざまな書き方がある。それは常識なのだが,これをしっかり学校教育で教えているようには思えないのである。『中学校学習指導要領』では,「漢字の楷書とそれに調和した仮名に注意して書き,漢字の行書の基礎的な書き方を理解して書くこと」(第1学年),「漢字の楷書や行書とそれらに調和した仮名の書き方を理解して書くこと」(第2学年),「漢字の楷書や行書とそれらに調和した仮名に書き慣れて,読みやすく速く書くこと」(第3学年)とされているのであるが,この学習にどれだけの時間を注ぎ,楷書や行書をどう教え,どれだけの理解を生徒に与えているのかを考えると疑問視せざるを得ない。
私の知る限り,教科書体と楷書の関係でさえ,しっかり教えているようには思われないのである。そういう状況を踏まえた上で「楷書で書け」と言われた場合の対応力を分析しなければなるまい。
ここでひとこと付言すれば,『小学校学習指導要領』の第2章第1節「国語」には,
漢字の指導においては,学年別漢字配当表に示す漢字の字体を標準とすること。
という記述があるのであるが,ここで「字体」という用語を用いるのは間違いであろう。まったく指摘がなかったわけではないであろうが,平成15年の改正でも訂正されていない。
さて話を元に戻して,戦前は,楷書や行書などの書体の特性と特徴に関する教育はしっかりしていたようである。紀田氏の指摘もそれを踏まえてのことであろう。
戦前に使用されていた『小学書方手本』には甲乙の2種類があり,同じ楷書でも字体はひとつではないことを実際に書写をさせて身につけさせていたのである(次の図は江守賢次著『解説字体字典』より複数の図を組み合わせて転載)。
また,次図は明治31年に文部省検定を受けた尋常中学校習字手本「三体千字文」の一部であるが,楷行草三体の字形構造の違いを千字文の臨書を通じて体得していたわけである。とくに楷書と行書の構造の違いをよく見ていただきたい。こうした,書体による筆法や結構の違いを丹念に習得していれば,漢字の素養は間違いなく高まっていったことであろう。
現在の漢字教育
次の図は現在の中学校学習参考書の一部(O社版)であるが,簡単な問題とはいえ行書の理解なしには答えられないはずであるから,相応の教育が行われていると想像したいところである。

しかし先ほども述べたように,現実にはこれらの学習に多くの時間を割いているとは思えない。担当教師自身の理解力ないし教養にも左右されている可能性も否定できないように思う。
いったい教師の書体に関する素養はどの程度なのであろうか。直接聞いてみたい気もする。
国立教育政策研究所では,国語と算数・数学の「特定課題調査」を実施したが,漢字教育の実態には多くの改善すべき点があることが浮かび上がってきていた。詳細は調査報告に譲るとして,「漢字は日常生活では必要だと感じてはいるが,漢字学習は好きではなく,また家庭でもほとんど練習していない」という結果には注目しておく必要がありそうである。調査結果のグラフを報告書から転載する。

しかし一方,読書をすることによって漢字を読む力が付く,という傾向も示された。これは当然ともいえるのであるが,実はここにも漢字教育の本質的問題が潜んでいるように思われる。
文科省は8月29日,2007年度予算の概算要求を発表したが,その中で小学校の英語教材に38億円を計上したという。国語の基礎学力が落ちている現状をそのままにして英語教育に力を注ぐことには疑問を呈せざるを得ない。
posted by gen : 2006年09月07日 23:12