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2006年08月31日 …【漢字の周辺】

漢字廃止論のことなど

自分たちの文字に自信がもてなくなるとき

前回までに,戦後日本の教育政策に重要な役割を果たした「アメリカ教育視察団報告書」の中の「ローマ字化」という思想が欧米の表音文字優越主義に根ざしたものであること述べた。しかし,この報告書ではじめて漢字が否定されたわけではない。その前に日本人自身が漢字廃止を唱えているのである。そこで,誤解が生じないようにもう少しだけこの点を補足しておきたい。
この報告書がだされたのは1946年であったが,その前年,すなわち終戦の年の11月には読売報知新聞の社説で「漢字廃止論」が展開されている。漢字を廃止することではじめて米国式の能率に追随できうるのであって,文化国家の建設促進にも音標文字の採用が必要であると説いているのである。
よく知られているように,漢字廃止論の歴史は古い。1867(慶応2)年には前島密が『漢字御廃止之議』を将軍に提出して漢字廃止を提唱したし,大阪毎日新聞の社長であったころの原敬も,小学校令が改正されて仮名の字体が統一された明治33年に「漢字減少論」を提起している。原敬内閣となってからは国語政策も大きな動きをみせ,1923(大正12)年には1,960字からなる『常用漢字表』がつくられた。
当たっているかどうかはわからないが,自分の国に自信が持てなくなったときに,自国の文字に対しても懐疑的な思想が生まれるのではないか。前島密が『漢字御廃止之議』を提議したのは大政奉還の前年,すなわち維新前夜であった。読売報知新聞の社説も敗戦と国土の未曾有の破壊を目の当りにしたショックに起因していることは疑いえないと思う。
そういう意味では,近年の「漢字検定」フィーバーなどに代表される一種の漢字ブームは国の安定の指標としてみてよいのであろうか。そうも言えないように思えるのは,小中学生の国語の,とくに漢字力が落ちているという現象である。これについては,次回からの論点の一つにしたい。

「文明」の視点でとらえられやすい文字

文字は「文化」の範疇で語られるものであるべきなのに「文明」の尺度で計られることが多いようである。だからこそ,外国との「文明の差」を感じた時期に漢字廃止論が登場するのではないであろうか(もっとも前島密の場合は漢字をやめて仮名を使おうという主張であったから,かならずしも欧米列強の言語になびいたわけではなかったが)。
私はかつて,現上智大学学長の石澤良昭先生を中心に,現東京大学助教授の原田至郎さん,ネイティブのラオ・キム・リャンさん,スワイ・レンさんらとKhmer Philology Projectという研究会組織(事務局:アジア太平洋研究会)をつくり,カンボジアのIT支援をクメール文字の問題解決を通じて行なっていたことがある。いま振り返れば,この活動における大きな壁のひとつが当のカンボジア国内の理解がなかなか得られなかったことだったように感じている。フランスの植民地時代にはフランス語にあこがれ,ポルポト以降は英語を使える者が高収入を得られるという現実の前に英語になびき,長い歴史を持つ肝心の自国の言語「クメール語」,とくにコンピュータ・インフラの中におけるクメール文字の問題にまともに取り組もうという姿勢が,国としてきわめて薄弱だったように思うのである。経済的には東アジアの中でも最貧国のひとつという状況の中では,自分たちの文化の原点に価値を見出す余裕は得られないということなのであろうか(ちなみに,すでにKhmer Philology Projectは終了してしまっているので,現在のカンボジアがどのように対処しているのかは不明である)。

言語の異なりは宇宙観まで変える?!

翻って,漢字についても文明の利器としての目で評価されることが多いのではないであろうか。ほんとうは文化の視点がなければ漢字を語ることはできないと思う。そういう点からは,日本の漢字,中国の漢字,韓国の漢字は,それぞれ別物なのである。
いわゆるサピア・ウォーフの仮説といわれるものがある。人間の経験や思考様式は言語習慣が異なればそれらも異なる,という考え方である(あえて「いわゆる」としたのは,たしか渡部昇一氏の著作でだったと思うが,実際にはウィルヘルム・フォン・フンボルトの方が先に提唱したものだということを読んだことが強く記憶に残っているからである)。
この詳細をここで論じるつもりはないが,国字がつくられたり独特の異体字や俗字などがつくられるということでさえ,その漢字を使う社会と無縁ではありえない。こういうことを含めて,漢字を考えるにあたっては「文化の視点」が必須と考えている。

posted by gen : 2006年08月31日 22:03

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Comments

素人丸出しのコメントが続きます。スミマセン…
ここ数年前まで、古事記や萬葉集が大雑把に言って漢字だけで書かれていたことを知りませんでした。
西郷信綱さんかどなたかの本かは忘れましたが、萬葉集の歌も時代が下ってくると、日本語(というか日本文字=万葉仮名)での表現が散見される、というような話を、今回の記事を読んで思い出しました。最初は中国からの借り物だったとはいえ、仮名や国字を作り出した現在の日本の漢字は、中国の漢字とは別物と考えるべきだと、やはり思います。
そしてさらに、IT業界の人間だから特に思うのかもしれませんが、漢字、ひらがなの他に、和製英語のカタカナ表記、英語そのままの表記、その略語等が入り交じった文章を読んだり書いたりするのを当たり前のことと受けいれています。
現代の日本語の表現手段(漢字・ひらがな等)としてどの範囲を指すのか(明朝体の範疇はどこなのか)、気になるところです。そうすると、縦書き・横書きの話も関係しますね。

posted by Okuh : 2006年09月04日 14:55

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