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2006年08月29日
…【漢字の周辺】
多言語主義についてひとこと
漢字理解は多言語主義理解に重なる
前回,マクルーハンの表音文字至上主義とも言える思想について簡単に触れた。絵文字,象形文字から始まる文字の歴史は表音文字に進化してはじめて完成されるというのが,欧米における「文字観」の主流のように思われるのであるが,マクルーハンも,その例外ではなかった。
しかし,こうした思想を通じて漢字理解を深めることは絶対にできない。漢字の深みを理解し,しかも相対的に語ることを可能にするのは「多文化主義」とも呼べる思想であり,これは「多言語主義」と一体をなすものである。「主義」という言葉自体に抵抗感を持つ人もいるかもしれないし,日本人にとって「多文化」とか「多言語」という言葉はあまり身近なものではないといえるかもしれない。しかし漢字の真髄に迫ることと多言語主義を理解することとは無縁ではありえないのである。
『多言語主義とは何か』(三浦信孝編 藤原書店 1997)は,よく書かれた本である。その中から多言語主義とは何かということについて少し引用しておきたい。
言語帝国主義から,普遍言語の夢を引き継ぐコンピュータ言語まで,人間の言葉を一つに統一するのが便利だと考える傾向を「一言語主義」(モノリンガリズム)と呼ぶとすれば,言葉の多様性に意義を認め,互いに相手の言葉を学びあうことで意思の疎通をはかろうとする態度を「多言語主義」(マルチリンガリズム)と呼ぶことができる。
(中略)
言語はコミュニケーションの道具であるだけでなく,世界認識の方法であり,自分を確認したり自分を表現したりするアイデンティティの拠り所でもある。
(中略)
言語は共同体の記憶の集積であり,個人アイデンティティは言語共同体への帰属によって保障されるだけに,少数言語の抑圧は少数派を多数派に敵対させ,しばしば民族紛争の引き金になる。
だから,言語の多様性は守らなければならない。他者をよりよく理解し,他者に自分を開くためには,他者の言葉を学ばなければならない。
戦後,アメリカ教育使節団が国語政策に関して,漢字や仮名を全廃しローマ字に移行することが好ましいとした報告書をまとめたのは,もちろん日本の将来を真剣かつ好意的に検討した結果であったのだが,そこにはどちらかといえば多言語主義とは逆の思想が貫いていたといえるであろう。
それから60年たったいま,Webを中心とした情報化社会が揺るぎないものになっているにもかかわらず,真の多文化を前提にしたものには育っていない。Unicodeの登場で文字問題が解決したわけでは決してないこともよくご存知の通りである(この問題のいくつかに関し,クメール文字やシンハラ文字の現状等を通じて議論するBLOGを別に立ち上げる予定である)。
もちろん,多言語主義というものが「何でもあり」というわがままな世界を志向しているわけではない。「互いに相手の言葉を学びあうことで意思の疎通をはかろうとする態度」には,お互いの歩み寄りも必要である。漢字の外字問題を考えるにあたっても,そういう類の歩み寄りが必須になると思っている。
posted by gen : 2006年08月29日 23:23