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2006年08月15日 …【書体について】

楷書体で書くということ

明朝体を考えるということは,その前提として「書体とは?」を考える必要がある。
漢字は「形・音・義」の3要素からなるが,音・義は普遍とは言えず時間・地域で変わってはいくものの,ある時代・地域で切り取れば,そういくつものバリエーションができるわけではない(「萌え」などは大きく義が変わってきているが,漢字としての「萌」の義に本質的な変化が生じたのではなく,「萌え」というコトバの意味として新たな種類が加わったものと解釈すべきであろう)。しかし3要素のうちの「形」については,書体が違えば骨格も筆法もまったく異なり,一義的に形を固定して考えることなどできないのである。
このことは当たり前すぎると言われるかもしれないがたいへん重要なことであって,杉本つとむが言うように字体解釈は書体に不依存にはでき得ない。しかも篆書などには厳密な意味での筆法は存在しないといってよく,規範の字体が確立した楷書体においてはじめて字体を論ずることができるようになった。だからこそ杉本つとむは「字体論は楷書に限る」と述べているのである。
筆写の世界にあっては,いまでも楷書が規範書体である。自分の名前を正確に書かねばならない場面では,かならず楷書体で書くことが義務付けられている。逆に言えば,他の書体で書くことを知らなくとも楷書体で書くことができなければ社会生活は営めないとも言える。
たとえば次図は,ある申込用紙の一部であるが,「楷書体で書く」ことが求められている。ただし,最近はこの種の記載は少なくなったように思う。なぜであろうか。この理由を探るのも面白いと思っている。

申込用紙の例.JPG

「活字体で書け」とは

しかしいまでもはっきり指示されている顕著な例がある。下左図はパスボート申請書の注意書きの部分であるが,楷書体で書かねばならないことが明示されている。つまりパスボートを申請するすべての日本人は自分の名前を正確な楷書体で書けることが期待されているのである。
一方,いまはなくなったが,日本人用「入出国カード」には下右図のように記載されていた。「活字体」とは何を意味するのであろうか。まさか明朝体で書け,ということではあるまい。

旅券申請_出入国カードJPG

私自身,海外渡航数はかなり多いほうである。したがって,このカードもよく書いた。タイポグラファーになるずっと前から,人には「まるで活字みたい」と言われるような文字を書いていたから,フライト中に書いても,ウロコをつければ明朝体,という書き方をしたものであるが,一般の人たちはいったいどんな文字を書いていたのであろう。 否,おおよそはわかる。隣の人の書いたカードを何回も見ているが,楷書どころか,もっと崩した文字を書いている例はいくらもあるのに,それによって足止めをされたという話は一切聞いたことはなかった。 それは何を意味するのであろうか。そもそも「活字体で書け」ということ自体,書体理解ができていない証拠である。文字を読み書きしないで済む生活など考えられないにも関わらず,「書体」に関する知見はあまり持っていない,というのが一般の方々の実態ではないか。 基本的に筆写のための書体読むための書体は明確に区分されなければならない。「当用漢字」制定における重要な思想のひとつは書く文字と読む文字をできるだけ近づけることであった。そのために積極的に略字体を採用している。それは「当用漢字字体表」のまえがきに,「この表の字体は、漢字の読み書きを平易にし正確にすることをめやすとして選定したものである。」と謳っていることからも明白である。 しかし,もともと書き文字と読むための文字(何らかの書体)は違うものであるという認識が必要なのであるが,この認識の欠如が多くの外字を生み出す原因になっているというのが私の持論である。 さらに,その原因を現在の義務教育における漢字指導にも求めることができそうである。むしろ本質的な原因とも言えるかもしれない。 次回は,この問題について考えてみたい。

posted by gen : 2006年08月15日 21:10

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Comments

いつもお世話になっています。
ここでは、はじめまして、です。

痛感するのが、自分が使っている単語の定義が曖昧だということです。たぶんそのせいで疑問に思っていたり、勘違いしていることが分かってきました。そんな前置きをしつつ、馬鹿な疑問を投げかけてしまうかと思いますが、よろしくお願いします。

今回、義務教育について少し言及がありますが、村井実さんのアメリカ教育使節団報告書は昨年読みました。全体を読んで感じた思いは、「この短期間で良くここまで日本の状況を調べて、かつ、ここまで思い切った解決策を提案したなあ」ということです。この本で書かれたほとんどは、自分自身が義務教育を通じで学んだことだということもあります。しっかり身について(罠に嵌まっていて?)、すなおに感心してしまいました。当時から50年以上経っていますが、基本精神は現在でも受け継がれているようですから(すでに義務教育を受けてから何順年も経ってしまいましたが!)、それはそれで、何かしらもやもやしたものを感じます。
ただ国語改革の提案は「ローマ字だけにならなくてよかった」と安堵しました。この部分が特に、この「報告書」に書かれた内容と実際の義務教育で違いが大きいと感じました。なのでかなり抵抗(?)があったのでしょうね。
でも、はたと感じたのですが、この「ローマ字だけにならなくてよかった」と安堵する思いは、実は自分の受けてきた教育による刷り込みなのではないか、ということです。
月並みな表現ですが、非常に考えさせられる本でした。

posted by okuh : 2006年08月23日 07:29

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